「プロは無理だと思っていた」建築家志望の中学生が153キロ右腕になるまで。加藤翼(帝京大可児)【前編】
今年の高校生右腕で、150キロを超え、かつ総合力も高いドラフト候補といえば、中森俊介(明石商)、小林樹斗(智辯和歌山)、高橋宏斗(中京大中京)がいる。その3人に並ぶ速球投手として急浮上したのが、帝京大可児(岐阜)の加藤翼だ。
加藤はいわゆる野球エリートではない。中学時代から実績が豊富でもなく、当時から中学生離れした速球を投げ込む逸材というわけではなかった。そんな加藤はいかにして最速153キロを投げられるまでになったのか。成長の過程についてロングインタビューで紹介。まずは取り組み編だ。
プロ野球選手はなれないと思っていた中学時代
加藤翼(帝京大可児)
中学時代、将来の夢ではプロ野球選手ではなく、建築家だった。
ただの憧れではなく、本気でそう考えていた。加藤は周囲の選手と自分のレベル差を比較して、中学生の時にプロ野球選手は厳しいと思っていた。
温泉街で有名な岐阜県下呂市出身の加藤。3歳上の兄の影響で、小学校2年生から野球を始め、下呂市にある金山少年野球クラブに入団。投手は小学校3年生から行っていたが、強肩を買われて捕手となり、岐阜可茂ボーイズでも投手も行っていたが、捕手がメインだった。ただ当時は肩、肘の故障も非常に多く、目立った活躍もできなかった。野球ができない期間が長ければ、プロは難しい気持ちになるのは当然だろう。
ただ野球をしている中学生が建築家の夢を持つのはあまり聞いたことがない。加藤は絵を書く才能があったのだ。
「自分は絵を書くのが好きで、とにかくアニメの絵を書いたり、現実味のある絵を書くのが好きなんです」
その腕前は確かで、今も帝京大可児の選手たちに見せることはあるが、選手たちは口を揃えて「まじでうまいです」と語る。美術の成績は常に「5」だった。
「デザインの仕事に就きたいと思っていて、当時はプロ野球選手になることは現実味がないと思っていたんですよね」
そこで建築科があり、建築士資格を取得できる岐阜高専の進学を考えていた。ただ成績がわずかに足らず、もともと誘いがあり、兄がいた帝京大可児進学を決めた。プロ野球選手を目指しつつ、もし厳しければ建築家のある大学へ進もうと考えていた。
ここまでは今や多くの球団から注目を浴びる153キロ右腕になるイメージは全く沸かない。加藤が大きく伸びたのは帝京大可児の3年間の取り組みにある。
[page_break:加藤を変えた「ストレッチ」「ネットスロー」「ウエイトトレーニング」]加藤を変えた「ストレッチ」「ネットスロー」「ウエイトトレーニング」
加藤翼(帝京大可児)
帝京大可児に入学して、加藤が日々、欠かさず行ったのはストレッチだ。中学時代まで怪我続きだった加藤は就寝前の30分~1時間は行った。眠いときは何度もあった。ただ柔軟性こそ一番大事だと思っていたのだ。
「前屈は足首ぐらいしか手が届かなかったので、それぐらい体の硬さはチームで一、二を争うほどだったと思います。
球速が上がるにつれて故障の確率が高まると思っていました。今の自分に目を向けたら、体を柔らかくすることが一番大事だと思っていました。
これを習慣にした時は、本当に眠い時もあったのですが、ストレッチだけは絶対にやらないと行けないと思って、今ではチームで一、二番目といえるほど柔軟性を身につくようになりました。前屈もつくようになって、開脚も180度開くようになりました」
インタビュー後に実際に開脚を見せていただいたが、180度ぴったりとつくことができていた。そして普段のキャッチボールの前から入念にストレッチを行ってから入る。怪我防止のためには最善のことを尽くしてから野球の動作に入る。練習の一部分を見るだけでも意識の高さが伝わってきた。
続いて取り組んだのは投球フォームの修正だ。
左腕のグラブを突き上げて、縦回転で振り下ろす投球フォーム。山本由伸と千賀滉大を組み合わせたようなフォームと言う声がある。このフォームは当初から出来上がったわけではない。最初は横回転が強い投球フォームだった。
「入学当初は横に大きい左手の使い方をしていたので、横回転の投げ方となっていて、今とフォームが全く違います。
やはり横回転だとスライダーしたりシュートしたり、いろんな変化をしてしまうので、あと自分自身、コントロールもすごい悪かったので、上下左右の動きがぶれていました。そこから上下だけのブレにしようと思って。1年秋の県大会が終わった後に、『左手を上げたらどうだ』と田中祐貴コーチ(元ヤクルト)から教わり、そのフォームを変えた翌日から球質が変わった感じがしました」
さらにこのフォームを固めるために行ったのが、傾斜を使ったネットスローだ。木の台に踏み出し足を乗せて、真上から振り下ろすようにしてネットに投げ込む。加藤は「縦回転で投げるための練習でとても大事な練習です」と、さらにキャッチボールでも工夫を凝らしている。
取材日のキャッチボールの様子を見るとただ真上から振り下ろすだけではなく、サイドスローだけではなく、アンダースローも行う。この狙いについて加藤は「いろんなフォームで投げることで肘の加速、しなりをつかむ1年前からやり始めています。中学生の時の発想だったらやっていないですね。中学生の時はそういうフォームでやれば、アンダー、サイドになってしまうという考えしかありませんでした。今ではそういうやり方も試せば、自分のレベルアップにつながると思ってやっていますし、実際にピッチングにも良い影響を与えています」
またこうしたドリル的な練習だけではなく、ウエイトトレーニングなどもみっちり行った。
加藤が驚異的なレベルアップができたのは、練習の意味を理解し、取り組む事ができたことが大きいだろう。後編では、加藤の球速の変遷について取り上げていきたい。
取材=河嶋 宗一