プロ注目の最速139キロ右腕・野島勇太(神戸弘陵)はいかにして県内屈指の好投手となったのか【前編】
身長176センチ、体重69キロとまだ細身な体が印象だ。マウンドに上がると遠近法でより細く見えるが、そこから繰り出すストレートは球速以上の伸びと切れ。数字では測れないストレートを武器に投げ込むプロ注目右腕が野島勇太だ。
8月17日に公示されたプロ志望届提出者一覧に野島の名が提示されており、現在は運命の日を待ちながら練習を重ねている。兵庫県選抜にも選出されるなど、注目されてきた野島の野球人生に迫る。
野球に打ち込むために神戸弘陵へ
野島勇太(神戸弘陵)
野島の野球人生の始まりは小学1年生から。友人が野球チームに入っていたことが理由に、軟式野球の南山ダックスに入団する。
外野手として最初はプレーするが、小学3年生からは内野手と兼任する形でピッチャーをやるようになり、本格的にピッチャー・野島の野球人生が始まる。
その後、中学では大池中学へ進学。学校の部活動で、軟式野球を継続する。先輩がいるまではショートをメインに守り、2番手としてマウンドへ。最高学年に上がると、主戦力として投げ込むようになる。
「結構自由に楽しんで、やりたいことをやるようにしていました」と中学時代の練習の日々を振り返る野島。そんな大池時代、野島は投手としてどのような成長を遂げたのか。
「ストレートの伸びが出始めたんです。そのストレートを9割くらい投げて、あとはスライダーやスプリットを投げる感じでした」
中学2年生の時に試合で投げ込んでいる時に「急に伸び始めたんです」とストレートの質が向上。そのストレートを武器にしてきたが、野島の中では低めに伸びるストレートを理想にしている。
則本昂大のような伸びるストレートを目指してきた野島にとって、ここでの成長は自身の目指す投手像への第一歩。プロ注目投手への覚醒は神戸弘陵での高校野球3年間となる。
しかし中学時代は楽しくやることを大事にしてきた野島にとって、神戸弘陵は真逆といってもいい環境だ。なぜ進学をしたのか、その理由から聞いてみた。
「学校からグラウンドは近いですし、2時から練習ができる。練習に打ち込むことが出来る環境だったので、入学を決めました」
覚醒のキッカケとなったフォームチェンジ
投球練習をする野島勇太(神戸弘陵)
大好きな野球に没頭できる環境を優先して、高校野球の世界に飛び込んだ野島。だが、恩師の岡本 博公監督は入学当初の印象をこのように語る。
「中学の軟式出身ですが、それなりのボールを投げ込む選手だったんです。それでどうしても来てほしくて声をかけました。ただ、線が細くて非力なところがありました。今は成長して大きくなりましたが、マウンドさばきにはセンスがありました。身体が出来れば一流になるかなと思いました」
岡本監督も期待した野島は、入学してすぐは周りの選手たちと同様にランニングメインの下積みの時期を過ごす。
「1日練習の時はまずは20、30メートルくらいの距離のダッシュや、30分間走をずっとやって。それから腹筋や体幹をやって。昼過ぎからやっとボールを使って練習をさせてもらっていました」
しかし入学してすぐに野島はAチームでの登板の機会をもらう。ただ、「自分の真っすぐが打たれましたので、通じないことを感じました」と高校野球の洗礼を受ける。
野島はその後、Bチームへ帯同するようになり、実戦経験を積んでいく。ただ自慢だったストレートは入学当初127キロで、コントロールもバラバラ。軟式から硬式への変化も関係していたが、高校野球に入学当初は苦戦を強いられた。
そこで着手したのは投球フォームの変化だった。
「身体を突っ込こまないようにすること。そして軸足は地面につけたままで、腕を真っすぐ前に出してリリースをする。あとはインステップをしないことをコーチから指導を受けてフォームを修正しました」
下半身の力をきちんと使えるようにするため、軸足を地面に残したまま、いかに腕を前へ出せしてリリースができるか。野島はキャッチボールやブルペンから意識をして試行錯誤を続けた。
そして野島は1年生の秋から背番号をもらい、公式戦デビューも果たした。初マウンドをこのように振り返る。
「負けたら終わりの試合で、初めての試合は点差がありましたが、緊張してボールが浮きました。抑えられたからよかったですが、コントロールの向上は課題でした」
しかし、この冬に野島はストレートに手ごたえをつかむ瞬間がやってきた。
「秋の練習試合では真っすぐを意図的に多めに投げるようにしたんです。そこから急に感覚が良くなってきたんですけど、腕を前へ出せるようにするために、上から叩く。ボールに縦回転を与えられるように、ボールを弾くイメージで投げ込むようにしたら、ボールの伸びが変わってきました」
入学当初から投球フォームの課題だった、腕を前へ持っていくことが、上から叩くイメージで野島の中で落とし込めた。
また、わざと残したまま投げ込むなどの工夫もしてきたおかげもあり、リリースする前に軸足が離れない。突っ込まないフォームも同時期に掴み始めた。これらが野島のストレートをさらに高いレベルへ押し上げた。
岡本監督も、「1年生の秋からそれなりに投げられるように力がついて、体力作りに専念できました」と野島の成長を感じ取っていた。
今回はここまで。後編は冬の取り組みや変化球について迫っていきます。次回もお楽しみに!
(取材=田中 裕毅)
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