3世代で甲子園を経験!奥村真大(龍谷大平安)の持ち味は類まれな勝負強さ【前編】
プロ注目の強打者として知られている龍谷大平安の奥村真大。
プロ野球選手である兄・展征(ヤクルト)の背中を追ってプロ入りを目指している。甲子園でも活躍を見せた奥村にこれまでの高校野球生活とプロ入りへの想いを聞いた。
3世代で甲子園出場の奥村一家で順調に才能を伸ばす
奥村真大(龍谷大平安)
滋賀県甲賀市出身の奥村は野球一家に生まれ育った。祖父の展三さんは甲賀(現水口)の監督として1968年春に甲子園出場、父の伸一さんは甲西の選手として85年と86年に夏の甲子園に出場、86年には大会第1号本塁打を放っている。その後も近大、プリンスホテルで現役を続け、2018年度まで甲西の監督を務めていた。
7歳上の兄・展征は2013年夏に日大山形の4番遊撃手として2回戦の日大三戦で本塁打を放つなど、チームの4強入りに貢献。卒業後はドラフト4位で巨人に入団し、翌年からはヤクルトでプレーを続けている。
こうした家庭環境もあり、「3歳の頃からティーバッティングをしていました」と物心つく前から野球に親しんでいた。小学5年生の時に展征が甲子園に出場した際にはアルプススタンドで応援していたそうだ。
奥村にとって兄は尊敬する存在であると同時に「中学、高校となるにつれて兄に負けたくないという気持ちが出てきた」と良き目標となっていた。中学では草津リトルシニアに所属し、関西選抜に選ばれるほどの選手に成長。県内外の強豪校から誘いが来るようになった。
当初は兄と同じ日大山形に進むことを考えていたが、龍谷大平安の練習を見学した際に原田英彦監督から「俺と一緒に日本一にならないか」と口説かれたことで入学を決意。近畿屈指の名門校で腕を磨くことにした。
龍谷大平安では1年夏から甲子園でベンチ入りし、3回戦の日大三戦では最終回に代打で登場。「ビックリするくらいの人がいて、あんなところで兄も父もやっていたのかと思ったら緊張しすぎて何も考えられなかった」と三塁ゴロに終わったが、もう一度甲子園を目指すモチベーションになった。
[page_break:二度目の甲子園で勝負強さを魅せるも、名門校の主将の重圧に苦しむ]二度目の甲子園で勝負強さを魅せるも、名門校の主将の重圧に苦しむ
奥村真大(龍谷大平安)
1年秋からは5番三塁手でレギュラーに定着すると、「ここというところで結果を出してくれた」(原田監督)と勝負強い打撃でチームに貢献。勝てばセンバツ出場が濃厚となる近畿大会準々決勝の市和歌山戦ではサヨナラ適時打を放ち、2季連続の甲子園を手繰り寄せた。
「あそこはストレートに張っていて、ホームランを狙うくらいの気持ちで打席に入っていました。でも、そこで舞いあがってしまうと気持ちが昂ってしまうので、落ち着いて冷静に打席に入った結果があのような結果になったと思います」とサヨナラ打の場面を振り返る奥村。「ランナーがいる方が自分は気合が入る」という強気なメンタルと冷静さを持ち合わせていることが勝負強さに繋がっている。
2度目の甲子園となったセンバツでは1回戦で前佑囲斗(現オリックス)を擁する津田学園と対戦。「本当に凄く球が伸びていて、初めて見たくらいの球筋だったので、上には上がいるというのはこういうことなのかな、ということを実感しました」とプロ注目投手のレベルを実感した。
第4打席までは無安打に抑えられるも、延長11回表の第5打席に決勝点となる先制適時二塁打を放ち、勝負強さを見せつけた。「レフトフライかなと自分では思っているので、たまたまじゃないかなと思っています」と謙遜したが、均衡を破ったこの一打でチームを勝利に導いた。
入学してから2季連続で甲子園出場を続けていたが、2年夏は京都大会準決勝敗退。「甲子園に出られるのが当たり前の感覚ではあったので、負けるのがこれだけ悔しいのかというのが実感できました」と甲子園に行く難しさを改めて実感した。
昨年の3年生が引退し、新チームになった当初は「自分が先輩方の時から出ていたので、自分が引っ張っていくしかない」と主将に立候補する。しかし、思うようにチームを引っ張れず、数日で主将を降りることになった。名門校の主将を務めることは並大抵のことではなかったようだ。
「自分の想いが空回りして、自分中心の考えになって、周りが見えていなかったです。中学校の時もキャプテンをやっていましたが、それとはレベルが違う重圧がありました。キャプテンというのは簡単ではないと思いました」
旧チームからレギュラーに定着していたのは奥村だけで、「自分がチームを引っ張らないといけない」という想いがあった。主将の座を同期の山崎 憂翔に譲ってからは「自分のことに集中できるようになりました」と言いながらもプレーや声で懸命にチームを引っ張ろうとしているのが練習を見ていても感じられる。プレーヤーとしても秋は4番に座り、チームの顔として絶対に欠くことができない存在となっていた。
(記事=馬場 遼)
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