九州地区のボーイズリーグで、好打者として名前が上がる選手の一人が飯塚ボーイズの中尾 湊選手だ。広角に強い打球が打てる打撃センスに加えて、守備では三塁から矢のような送球を見せるなど、高い身体能力が持ち味の選手だ。
小学生時代には福岡ソフトバンクホークスジュニアに選出され、また元西武ライオンズ監督の森祇晶氏の親戚でもある中尾選手だが、これまでの成長や高校野球での目標についてお話を伺った。
1年春から公式戦を経験し自信を掴む

中尾湊選手(飯塚ボーイズ)
社会人野球までプレーしていた父・豪さんの影響で、幼い頃から野球に興味を持っていたと振り返る中尾選手。小学校に入学する前から、少年野球チームの千代ウイングスの練習に参加し野球の楽しさを感じていた。
チームでは、センスの高さと肩の強さを見込まれて投手と遊撃手を任される。
小学校6年生に上がる頃には球速は125キロにまで達し、速球派右腕として福岡ソフトバンクホークスジュニアに選出された。
「(NPBジュニアチームが激突する)NPB12球団ジュニアトーナメントでは、すごい選手が集まる中で自分はピッチャーとして対戦できてとても楽しかったです。チームメイトとも競い合える環境だったので、負けないように努力しないといけないと感じていました」
小学校を卒業後、中尾選手はジャイアンツカップ優勝経験もある強豪・飯塚ボーイズに入団する。北九州市の自宅から、練習グラウンドのある飯塚市までは車で40分ほど。通うのは決して楽な距離ではなく、また両親のサポートも必要になるが、それでも中尾選手は自主性を重んじるチームの雰囲気に惹かれて入団を決意した。

中尾湊選手(飯塚ボーイズ)
「体験に行かせていただいた時に、飯塚ボーイズはみんなが自分で考えて練習をするチームだと感じ、そこが良いなと思って入団しました。特に冬場は平日は練習が無く自主練になるので、そこでしっかりと練習すれば周りにも差をつけることができます」
小学生時代は速球派投手として活躍した中尾選手だったが、実は将来的には野手として活躍したいという思いを密かに秘めていた。飯塚ボーイズに入団後は、投手ではなく野手としてプレーしたい思いを監督に伝え、強肩を活かすために三塁手としてプレーすることに。
元々、福岡ソフトバンクホークスジュニアでも1番打者を任されており、打者としての才能も発揮していた。入団直後から3年生の選手たちに混じってプレーし、4月のミズノ旗争奪九州選抜大会では「1番・三塁」で先発出場を果たした。
「1年生から試合に出させていただいて、その時に色んな凄いピッチャーと対戦することができました。それが一番成長に繋がったと思いますし、そこで結果も残せて自信を持つことができました」