秋季兵庫県大会で優勝を飾った報徳学園。決勝では、2季連続で甲子園ベスト4入りを果たした明石商を5対1で下し、6年ぶり13度目の栄冠を手にした。
「秋の兵庫王者」の原動力の一人が、主将であり1番打者を務める三宅 雄雅だ。迷いのない力強いスイングから放たれる鋭い打球が持ち味で、切り込み隊長として報徳打線を牽引。また12月には兵庫県選抜にも選出され、台湾遠征も経験するなど県内でも指折りの好打者だ。
春季兵庫県大会は中止となり、残りの大会は夏のみとなった状況だが、三宅はこの冬をどんな思いで過ごしてきたのだろうか。
ツイスト打法で確実性がアップ

三宅雄雅(報徳学園)
ヤングリーグの大阪レンジャーズから、報徳学園へ進んだ三宅。チームでは3番・遊撃手を務め、3年時はヤングリーグの全国大会にも出場。
高校入学後は外野手に転向した三宅だが、遊撃手だった当時の憧れは2年生ながら報徳学園の主力として甲子園で活躍を見せていた小園 海斗選手であった。
三宅は報徳学園に進学を決めた背景には、小園の存在があったことを明かす。
「報徳学園に入れば、2学年上に小園さんという見本になる存在がいますし、甲子園を目標にずっとやってきたんで一番近い高校かなと思って入学しました。他にも声を掛けていただいた高校はありましたが、その中で報徳学園を選びました」
入学直後は小園をはじめ、全国トップレベルの先輩たちのプレーに圧倒される毎日であったが、8月に3年生が引退すると少しずつ試合への出場機会を掴みだす。
レギュラー獲得までは至らなかったが、控え選手として実績を積んでいき、第101回選手権兵庫大会では先発出場も経験。
大会は、惜しくも3回戦で加古川西に2対4で敗れたが、新チームでは主将に選出されてプレーでも、リーダーとしても活躍を期待された。

兵庫選抜での三宅雄雅(報徳学園)
だが、いざ新チームが始まると、結果が出せない日々が続く。
三宅は当時を次のように振り返る。
「新チームがスタートした時、強いスイングができる選手は揃っていたので、ある程は戦っていけるだろうなとは思っていました。ですが、はじめはなかなか結果が出ず、個人としても下位打線を打っていました。最初は上手くいきませんでしたね」
そんな三宅の浮上のきっかけを作ったのは、磯野剛徳コーチであった。
力強いスイングが持ち味である一方で、確実性に課題のあった三宅だが、磯野コーチからツイスト打法を教わることで、ヘッドがより走るようになり確実性の向上にも繋がったと三宅は話す。
「ツイスト打法は、バットをスイングする際に普通は腰も一緒に前(投手側)へ回転するところを、インパクトの瞬間に腰を反対方向(捕手側)に素早く抜くイメージです。
そうすることでバットのヘッドがより走るようになり、体が開いていた癖も直りました」