目次

[1]なぜ1年春から4番打者として起用されたのか?そのエピソードも紹介
[2]1年の経験を残り2年間で生かす

 強打の智辯和歌山の中で1年春から4番に座るスラッガー・徳丸 天晴。小学校時代は、阪神タイガースジュニアに選ばれ、大阪東ボーイズでは通算22本塁打を放つほどのスラッガーまでに成長。

 智辯和歌山に入学してから中谷仁監督に見込まれ、4番に座り、1年夏から甲子園出場。現在、高校通算10本塁打を放っている長打力だけではなく、最速140キロを計測するという抜群の強肩も持ち味な強肩強打の大型外野手だ。そんな徳丸の歩みや最終学年の目標を聞いた。

なぜ1年春から4番打者として起用されたのか?そのエピソードも紹介


 自主練習のこと。徳丸は竹バットでロングティーを行い、打席に立ったライト線から次々とセンターフェンス近くまで飛ばす。その打球は高い弾道でスラッガーとうかがえるものだった。
「下半身の安定性を求めています」と語るように、振り出しからフォロースルーまで無駄のない打撃フォームだった。

 小学校3年生から野球を始めた徳丸。その能力は大阪府内から知れ渡り、小学校6年にはタイガースジュニアのセレクションを受ける。このセレクションには、三次テストまであり、まず一次テストでは遠投、50メートルを行って、絞っていき、その後、実技に入っていき、最終的に紅白戦を行い、代表18名が決まる。徳丸は見事、厳しいテストを勝ち抜き、見事、タイガースジュニアに選ばれ、代表選手となった。

 ここで学んだことは大きかった。
「当時コーチだった中谷さんから普段の返事や態度。人として正しい生活行動、考えを教えていただきました。そういう言葉が印象に残ってきて中学でも生きてきたかなと思っています」

 中学では大阪東ボーイズに進み、投手・外野手を兼任し、4番打者として活躍。中学1年生の時は165センチだったが、みるみる身長が伸びていき、中学3年には183センチまでに成長。この時、右の強打者たちの映像を見ながらフォームを固め、中学2年間まで10本塁打ぐらいだったが、中学3年から一気に10本以上を放ち、中学通算22本塁打を放った強打者として活躍する。また投手としても、最速138キロをマークする本格派右腕として注目を浴びていた。

 智辯和歌山に進むきっかけは中谷監督の存在だった。
「中谷さんから教えられたことは自分の考えに生きていることはかなりありましたし、実際に声もかけてもらって、またグラウンドまでいって見学するうちに智辯和歌山に行きたいと思うようになりました」
 こうして智辯和歌山の入学が決まった。

 そして高校入学してすぐの明石商との練習試合で4番として起用される。徳丸としても驚きだった。
「第1試合で代打で安打を放ったので、4番として起用されることになりました」

 中谷監督は「あのときは東妻(純平)が不調でしたし、また東妻が4番タイプということなかったので、タイミングが良いと思って変えることを決めました」

 徳丸は4番で起用された試合で左腕投手から試合終盤に逆転3ランを放つ。次の龍谷大平安との練習試合でも4番打者として起用され、12打数6安打。6安打のうち長打は4本と活躍を見せる。

 この打撃を見て、中谷監督は「2,3年生で東妻以外に適任と思える選手はいなかったこと。また徳丸には4番で試したいと思わせるスケールの大きさ、スイングの速さがありました」と徳丸の4番打者起用を決める。