「プロは目指していなかった」146キロ右腕・小辻鷹仁(瀬田工)はどのようにしてプロ注目となったのか
スリークォーターから最速146キロの速球を投げる本格派投手としてプロのスカウトからも注目を浴びている瀬田工の小辻鷹仁(2年)。昨年末の滋賀選抜オーストラリア遠征では7回無失点の好投を見せた。
入学時の球速は122キロと決して際立った存在ではなかったが、2年間で右肩上がりの成長を続けてきた。彼はいかにしてプロ注目の投手になったのだろうか。
プロではなく就職を考えて瀬田工に入学
小辻鷹仁(瀬田工)
野球を始めたのは小学2年生の時。ソフトボール投げで他の同級生よりもいい記録を出していたことから肩の強さには早くから自信を持っていた。小学生時代のポジションは主に捕手や遊撃手と投手こそしていなかったが、身体能力が必要とされるポジションを任されていた。
中学では大津北リトルシニアで野球を続けると、紅白戦で適性を見出されて投手に転向。その時から「投げやすくて、スライダーがよく曲がった」という理由からスリークォーターで投げるようになり、腕の位置を変えたことは一度もないという。
中学最後の大会ではエースとして近畿大会16強という成績を残した。高校は「就職がいいというのもありますし、この学年は良い人が揃っていると聞いていました」という理由から瀬田工に進学。この時にはプロ野球選手になるという考えはなく、高校で野球人生を終えて、就職しようと思っていたようだ。
瀬田工に入学後は練習試合で上手くアピールできたことで1年夏からベンチ入りを勝ち取り、2年春からはエースとなる。夏には130キロ台後半のボールが投げられるようになり、「頑張ったら150キロが出て、プロも行けるんじゃないかと思うようになりました」とプロ入りへの意欲を見せるようになった。
高校生は一冬を越えると大きく成長すると言われているが、小辻もその一人。1年の冬には選抜メンバー13人が毎週末に学校のセミナーハウスで宿泊する生活が始まった。食事と睡眠をたっぷり摂れるように配慮された生活を送ることで、身長175㎝体重65㎏だった入学時から現在は身長181㎝体重81㎏にまで成長。それに伴って球速も伸び、「球のかかりがよくなったのと下半身の粘りが凄くできて、キレが出たと思います」と変化を感じられるまでになっていた。
[page_break:滋賀選抜で得た自信とトップ選手たちと出会って得たもの]滋賀選抜で得た自信とトップ選手たちと出会って得たもの
小辻鷹仁(瀬田工)
新チームになってからは140キロを目標に取り組んできた。練習試合に登板してもなかなかその壁を破れずにいたが、8月後半に初めて142キロを計測すると、その後も142キロを連発。自信を持って秋の大会に挑んだ。
秋の滋賀大会はエースで4番としてチームをベスト8に導いたが、準々決勝の伊香戦では県内を代表する好投手・隼瀬一樹(2年)との投げ合いの末に延長12回で敗北。「抑えられるところがもっとあった」と本人にとっては不本意な結果となった。
センバツは逃したが、小辻の成長は止まらなかった。秋季大会後の練習試合で144キロまで球速を伸ばすと、年末に行われた滋賀選抜のオーストラリア遠征では「最後の最後に自分のベストピッチングができた」と最後の登板で146キロを計測。「球が走っているとは思っていたので、それが結果に出て良かったです」と自信を深めた。
また、オーストラリア遠征の前には龍谷大との練習試合が組まれたが、対戦した龍谷大の打者に一番良い投手が誰だったかを聞いてみると、返ってきた答えが小辻だった。この試合では力強いストレートを武器に1回を無失点に抑えており、甲子園出場選手が多数いる打線を相手に実力を見せつけた。
滋賀選抜では県内から有力選手が集められて交流を深めた。様々な選手と接する中で近江の土田龍空(2年)と隼瀬が印象に残る選手だったという。
「土田君は守備がとても上手かったです。色んなことを聞いて瀬田工にも伝えられることがありました。隼瀬君は股関節の柔らかくする方法やどういう風に意識して投げるかを聞いて参考になる部分もあったので、良いことを聞いたなと思いました」
前編はここまで。後編では滋賀県選抜後に取り組んでいる課題と今後の目標を伺っていきます。後編もお楽しみに!
後編はこちらから!
146キロ右腕・小辻鷹仁(瀬田工)はOB・西崎幸広以来の逸材…。なぜ高卒プロを目指せる投手になったのか? 【後編】
(取材=馬場 遼)
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