県内でも指折りのプレイヤー・末永悠翔(鹿児島玉龍) 2つの怪我を乗り越えて【後編】
第101回選手権鹿児島大会で、ベスト8まで進出した鹿児島玉龍。2年生ながらリードオフマンとして打線を牽引し、「8強入り」に大きく貢献したのが末永悠翔だ。「走攻守」の3拍子が揃ったプレースタイルは県内でも指折りの実力があり、また投手としても140キロに迫る力強い直球を武器とする。
今回はそんな末永に、これまでの道のりを振り返っていただいた。
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投打で鹿児島屈指の実力者 末永悠翔が鹿児島玉龍を選んだ理由とは【前編】
肩痛と足首の骨折
末永悠翔(鹿児島玉龍)
「投手と野手、どちらが好き?」と問えば「投手」と即答する。投手に対するこだわりも強いが、前述したように1年秋の鹿児島城西戦で先発して以降、右肩痛のため公式戦のマウンドには上がっていない。
肩痛の前兆は秋前の遠征で宮崎に行ったときにあった。宮崎日大との対戦。相手には140キロを投げるプロ注目の好投手・日高太勢(3年)がいた。「実は投げる前のブルペンで右肩に違和感があった」が2回にホームランを打たれると「火が点いた」。最初135キロぐらいだった末永の球速も、「相手に刺激されて140キロに近づいていった」(谷口監督)。8回に自らランニングホームランを打って勝ち越しす。最後は力尽きてサヨナラ負けを喫したが、投手と野手、1年生にしてどちらにもポテンシャルを秘めていることを実証してみせた試合になった。
ただ皮肉にもこの試合の後、肩の痛みがひどくなった。秋の県大会、初戦の鹿児島城西戦で先発し、学年1つ上で楽天に育成指名された小峯新陸と投げ合ったが5回で降板。チームも1点差で敗れた。右肩の痛みに正式な診断名はないという。筋肉、腱、骨に異常はないが、投げると痛みが強まり、力が入らなくなる。この試合から1年以上、公式戦のマウンドからは遠ざかることになった。
投手として貢献できなくても、打者、野手としてチームの欠かせない戦力だったが、昨夏、鹿児島池田に劇的なサヨナラ勝ちをした鹿児島市内大会では更なる試練が待ち受けていた。
準決勝・鹿児島工戦の初回の先頭打者の打席で、セカンド後方に落ちるポテンヒットを放った。捕られるか、落ちるか、判断の難しい打球だった。「最初は駆け抜けるつもりだった」が落ちたのでオーバーランに切り替える。その微妙な判断の迷いが災いし、加えて雨でぬかるんだこともあって、一塁ベースをオーバーランしようとした際に左足首を突いてしまった。左足首の腓骨骨折。試合は勝利し、秋の県大会のシード権は獲得したが、全治3カ月で秋の大会は欠場を余儀なくされた。
芽生えた中心選手の自覚
末永悠翔(鹿児島玉龍)
「1年生の頃から試合に出させてもらって、中心学年になって頑張ろうと思っていたところでのケガ。悔しいし、情けないし、何よりチームメートに申し訳ない気持ちで一杯でした」と当時の心境を振り返る。
右肩痛で投げられなかったが、打者や野手で貢献できる道はあった。それが中心学年になった最初の大きな県大会で打者、野手としての出場も叶わなくなった。野球を辞めたいとは思わなかったが、練習場にいるだけで何もできない自分が情けなかった。
それでもチームメートは「お前がいないと勝てないんだから」と励ましてくれた。ただ励ますだけではなく、厳しく接してくれたのもかえってありがたかった。自分が動けない分、練習のサポート役をやるようになったのもこの頃だ。それまで当たり前のように試合に出ていて、中心学年になれば黙っていてもチームの中心だと思っていたが「サポートでも何でも自分がやらないと人に対しても大きなことが言えるわけがない」と本当の意味での率先垂範の自覚が芽生えたような気がしている。
年が明け、長らく苦しんだ右肩痛も治まり、ブルペンで投げられるようになった。久しぶりに投げてみて「ピッチングってこんなに楽しんだ」と思えた。足首のボルトも抜かれ、ケガを気にせず走れるようになった。きついはずのランメニューも、ケガで走れない時期が長く続いたからこそ「走れる快感」が味わえている。鹿児島玉龍は学校からグラウンドまで300段の階段があり、急こう配のロードがあちこちにある。そんなランメニューをバッテリー陣の先頭に立って生き生きと取り組んでいる。
自ら考えて行動する「自己決定力」を養うことは、冬場のトレーニング期間のチーム目標でもある。昨夏、鹿児島城西に勝って8強入りできた3年生のチームはまさに自己決定力を持った集団になれたことが、大きな要因だったと谷口監督は考えている。2つの大きなケガを経て、末永自身も本当の意味での中心選手としての自覚や、自己決定力が備わりつつあるのを谷口監督は感じている。
投手としては「どんな球種でもおさえられて、相手の考えをも上回れる選手」、打者としては「相手投手が『この打者には投げたくない』と思われるようなオーラを出している選手」になることを理想に掲げる。この2年間、悔しさしか味わってこなかったエネルギーを力に替え「野球をやっていて良かったと思える瞬間を味わえる最高の結果を出せるように、今できる最高の準備をしていきたい」と燃えていた。
(取材=政純一郎)
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