目次

[1]佐々木監督に魅せられて
[2]「屈辱」を「成長」に変える

 「プロに行く!」という高い志を掲げて、佐賀からはるばる鹿児島までやってきた。プロ出身・佐々木誠監督が就任した年に入学した「1期生」に当たる。最上級生に上がる今年春に、鹿児島城西はセンバツ出場を決め、創部以来初の甲子園出場を果たす。同じ2年生右腕の前野 将輝との2本柱は甲子園出場の原動力となった。

佐々木監督に魅せられて



練習に打ち込む八方悠介

 佐賀県唐津市出身。野球を始めたのは小2からで、中学時代は福岡の糸島ボーイズでプレーした。幼い頃から父・博さんに連れられ2つ上の兄・大輔さんと共にヤフオクドームでホークスの試合を何度も観戦に行っており「プロ野球選手になる」という夢を幼い頃から抱いていた。

 元々は捕手で、のちに秀岳館(熊本)に進学する大輔さんとずっとバッテリーを組んでいた。「ずっとピッチャーをやりたいと思っていたけど、兄とバッテリーを組まされたのでさせてもらえなかったんです」と苦笑する。

 中学に入って膝をケガして座れなくなったこともあって、三塁手に転向。投手を始めたのは中2の終わり頃で、投手歴は意外に浅い。「たまたまブルペンにいたら、コーチから『投げてみないか?』と言われたのがきっかけ」だった。

 高校進学は「いろんなところから特待の話もあったので、どこに行こうか、迷っていました」。佐賀県内はもちろん、福岡、大分、熊本からも声が掛かっており、その中の1つが鹿児島城西だった。18年から監督に就任する佐々木監督が糸島ボーイズとつながりがあり、就任前に声を掛けた数少ない選手の1人だ。

 「プロに行きたいのならプロの、大学に行きたいのなら大学の、希望に沿ったレベルの選手に育てる」
 他よりも遠い鹿児島まで行くのにためらいがあったが、父・博さんを通じて伝えられた佐々木監督の言葉が、進学の決め手になった。

 02年生まれだから、佐々木監督の現役時代は知らない。ただ名前を知ってからYouTubeの動画でプレーを見ると「すごい選手だった」というのは分かった。自分の好きなホークスの元選手だったことも縁を感じた。何より「自分の個性に合った指導を受けられる」というのが魅力だと思った。

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