今や社会人野球を代表するスラッガーへ成長した今川 優馬。vol.1ではレギュラー獲得に燃えた東海大四時代のお話をお届けしたが、今回は今川の現在のスタイルを作り上げた大学時代のお話をお届けしたい。そのスタイルも苦労を重ねながら築き上げたものだった。
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社会人野球を代表するホームランアーチスト・今川優馬(JFE東日本)「高校通算は2本塁打。レギュラーを必死に目指した3年間」vol1
2年まではベンチ外。選手としてのタイプを変えたコーチとの出会い

今川優馬(JFE東日本)
大学野球で飛躍する。
そんな希望をもって入学した今川だが、上級生、同級生のレベルの高さに押され、大学2年生まではボールボーイか、スタンドでの応援だった。
「大学野球もそんなに甘くなくて試合に出られるようになったのは3年の春からでした。それまではボールボーイとスタンドで応援する日々で、自分と思い描いた大学野球とは違うと思いましたね。1年生からすぐにベンチに入って試合に出て、もっと練習しないといけないと必死でしたね」
また今川は6人兄弟の長男で、両親への負担もかけられないということで飲食店も週3、4回のバイトを入れていた。
「時間は18時~24時前で、たとえば午前中授業だったら、午後に入れるとか、練習が早く終わった日があれば、入れるとか、土日も夕方以降は時間があったのでバイトを入れていました」
その土日というのはオフシーズンだけではなく、なんとリーグ戦中も入れていたのだ。
「だからリーグ戦期間中は打点もお金も稼ぐ二刀流でしたね(笑)」と笑うが、実は東海大札幌キャンパス野球部のバイト活動は認められていない。
「当時の監督は厳しい方で、バレたら野球部はクビでした。だから飲食店のバイトでは、ホールに出るとばれてしまうので、キッチンで皿洗いをひたすら行うバイトをしていました」
大学4年になり、ドラフト候補となった今川はメディアにも取り上げられ、バイトしていることも明かされたが、4年秋には監督も変わり、その監督は今川家の経済事情を理解して黙認していたというのが実情なのである。

正面から見た今川優馬(JFE東日本)のスイング
そういう生活を抜け出すためにも、プロに行きたいと思っていた今川は打撃スタイルをホームラン志向に変えた。それは同大学OBの岩原旬コーチ(札幌ホーネッツコーチ)のアドバイスからだった。
「コーチの方がしっかりと振ろうという考えの方でした。ヒットを狙うのではなくて、ホームランを狙って、その打ち損じがヒットというスタイルを目指せと多くの選手にいっていて、バットの軌道も少し下に入れたほうが、確率が上がるし、長打も増えるぞとアドバイスをいただきました。初めて聞くようなことばかり、最初は何をいっているんだ、この人と思いましたね」
今までの教えは左脇を締めて、インパクトまで最短距離で振るというもの。コーチの指導は脇を開けていいものだった。今川はその教えを疑っていたが、コーチの考えを聞くと、なるほどと思い、取り組んでいく。
「直接聞きに行ったり、マンツーマンで教えてもらいホームランバッターではなかったんですけど、ホームランを打ち始めて、打撃が面白くなってきたんですよね。これはこの打撃を続けてみる価値があるかなと」
コーチの話を聞いたり、ミゲル・カブレラの動画を見て打撃フォームを修正し、大学2年までオープン戦を含めてホームラン1本しか打たなかったが、徐々にホームランを打てるようになり、レギュラーを獲得した。