第1092回 「このままではダメ」を知った高校引退後 梅林 優貴(広島文化学園大・捕手/日本ハム6位)【前編】2019年12月19日

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【目次】
[1]高陽東高で「2年秋・ベンチ捕手」から這い上がる
[2]豪雨被害、キャプテンの労苦を超えて

豪雨被害、キャプテンの労苦を超えて



最終学年ではキャプテンも務めた梅林 優貴(広島文化学園大・日本ハム6位)

―― 大学では2年春からレギュラーを奪取できました。

梅林  入学時は岡山大に新谷 貴幸さん(後にJR西日本)などいい投手がいたんです。1部はレベルが違うので、なかなか入れ替え戦で勝つことができなかったんですが、レベルの高さを感じながらプレーできたことが成長につながりました。

―― その中で冒頭に話があった「キャプテンになって見えたもの」も多かったのでは?

梅林 大学野球は選手個々によって野球への熱量が違うので、まずはそこを見極めて接し方を変えるようにしました。そういった観察の部分はリードにも役立ちました。特に中国大学リーグ2部は1球に対する反応が出やすい打者が多いので、打ち取るためのヒントも得ることができました。

 ただ、3年秋・4年春とチームは中国地区大学野球2部優勝ができませんでしたし、まとめる部分では難しいところもありました。理由にはなりませんが、西日本豪雨被害も学校の周りではあって練習量も不足していましたし……。

――被災地のボランティアにも行かれたのですか?

梅林  学校と実家の近く2か所に行きました。今まで当たり前のことが当たり前ではないということを考え直して、改めて「一生懸命に野球をやろう」と思いました。

 前編はここまで。後編では強肩捕手の地位を得るまでに至った送球メカニズム論と北海道日本ハムファイターズでの意気込みを聞いていきます!

(取材日:2019年10月26日 聴き手=寺下 友徳

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プロフィール

梅林 優貴(広島文化大)
梅林 優貴(うめばやし・ゆうき)
  • 広島文化学園大
  • ポジション:捕手
  • タイプ:右投右打
  • 身長体重:173cm85kg
  •  野球好きな祖父の影響で広島市立亀山南小5年時にで安佐北少年野球クラブ(軟式)で野球をはじめ、チーム廃部によりスポーツ少年団三入クラブへ。「昔から壁当てして肩が強く投手の準備をしていたら最初の大会で投手候補が来て、監督に「捕手をする選手はいないか」と聞かれた時、防具を付けることに抵抗がなかったことから僕はそんなに嫌いじゃないですと言ってから」捕手がメイン。ちなみに小学校時代は5年間、剣道も同時に学んでいた。

     中学は広島市立亀山中(軟式)、高校は広島県立高陽東高校で捕手を続ける。当時のあこがれは谷繫 元信(元中日ドラゴンズ)や石原 慶幸(広島東洋カープ)で「谷繫さんや石原さんの試合を見ながら配球のチャートを付けていた」逸話も。高校通算は6本塁打・3年夏は広島大会準々決勝で準優勝した市立呉左腕・野村秀一(現:明星大4年)に完封負けで終わった。

     広島文化学園大に入学後は2年春からレギュラーを獲得。4年秋には最高殊勲選手・首位打者・ベストナイン捕手部門(2年秋・4年春に続く3度目)の「個人タイトル三冠」に輝き、入れ替え戦でも岡山商科大を2勝1敗でくだし初の中国地区大学野球リーグ1部昇格に大きく貢献。北海道日本ハムファイターズ6位指名に花を添えた。二塁送球タイム1秒8・50メートル走6秒2・大学リーグ通算179打数65安打。

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