赤坂諒(上野学園) 理想は勝てる投手。次なるステージで再び革命を起こす【後編】
夏の東東京大会で旋風を起こした上野学園。そこでエースとしてチームを牽引し、大活躍を果たしたのが最速151キロ右腕・赤坂諒だ。
前編では少し意外過ぎる赤坂の投球術に迫った。後編でも引き続き赤坂のピッチングに迫った。
前編はこちらから!
赤坂諒(上野学園) 最速151キロの剛腕は友達重視?!意外過ぎる思考に迫る【前編】
冬場の投げ込み、そしてメリハリをつけたことが夏の快進撃に繋がった
赤坂諒(上野学園)
自ら試行錯誤を繰り返しながら、柔軟にアドバイスを取り入れる赤坂。そんな赤坂は「秋の段階では3番手でした。春になって成長してエースになりました。そのころから試合を作っていけるようになりました」と小川 貴智監督は振り返る。
この急成長にはしっかり裏がある。オフシーズンに投げ込みを行い、ピッチングの向上させたのだ。
「オフに入るときに投手陣で『1人で試合を作れないとダメだ』という話になりました。完投できるようになれば継投が出来ますが、継投しかできないと完投はできないので、オフシーズンの目標にしました」
赤坂はオフシーズン中に100球投げ込み体力強化をした。しかしただ投げ込んだのではなく、コントロールの向上もテーマに掲げた。
「コーチからで、ゲーム感覚でホームベースに置きティーを置いて、そこの上にあるボールを狙って投げていました。
けど当てにいこうと抜いて投げるのではなくて、思い切って投げる中で狙いました。おかげで春からはストライクゾーンで勝負できるようにまとまりました。」
元々コントロールが良くなかった赤坂にとって、この練習が効果的となり、コントロールが磨かれた。また体力をつけたことで夏の大会前には1人で試合を作れるようにもなり、投手として1人立ちし始めた。
とはいえ、夏は連戦が続くだけあって投げ抜くのが難しい。だが赤坂は5回戦の駒込、準々決勝の修徳戦を除いて1人で完投している。まさに大車輪の活躍だが、これには赤坂なりの投球プランがある。
「自分の中では最初と最後が肝心だと思っていました。なので、序盤の1、2回は味方にリズムを与えるために。そして最後の8、9回は残っている体力を全力で使って抑えるようにしました。
その代わりに3~7回は少し抜いて、それでも大丈夫そうなら打たせて取るスタイルにしていました」
また大会期間中は練習の日はひたすら休めることに専念した赤坂。こうして夏の厳しい連戦を乗り越えてきた。
理想は勝てる投手であること
赤坂諒(上野学園)
こうして赤坂は夏の大会で創部12年というチームをベスト4に導く大活躍。夏の東東京を沸かせた剛腕は多くの野球ファンの記憶に残った。
赤坂にとっても今夏は忘れられない夏となったようだ。
「試合中もこれまで受けたことないような大歓声は聞こえていました。それが力になって最後踏ん張って投げられました。周りからも『おめでとう』とか『ありがとう』と言ってもらえて嬉しかったですね」
また上野学園での3年間を「仲がいいチームで、明るい雰囲気の中で楽しく野球が出来て、結果を残せたので良かったです」と納得の表情だった。
これからは大学に進学し、さらに己を磨く。
「武器はストレートですが、ただ速いだけなので打たれないストレートにしたいです。また、変化球も曲がらないですし、フィールディングもできていないなど、できないことが多いです。なので、1つずつ無くしてより勝てる投手になりたいです」
この勝てる投手という言葉こそ、赤坂が目指してきた投手なのだ。
「とりあえずチームが勝てれば何でもいいです。球速がどれだけ出ようが、悪口言われようがどうでもいいです。チームが勝てれば何でも良いんです」
そんな赤坂にとって、同世代ではあるが星稜・奥川恭伸の姿はまさにそうだと語る。
「智辯和歌山戦みたいに最少失点に抑えて、みんなが打つのを信じて待つ。ピッチャーが抑えないと勝てないので、奥川君は理想に近いです。
やっぱり自分は投げるのが仕事なので、『守備は任せて』って感じなんです。なので、野手には打つことだけ考えてもらって、小さいチャンスをものにしてほしいんです」
ここまで少し柔らかい雰囲気を感じさせた赤坂だったが、この一言には強い意志を感じさせた。赤坂の本当の凄さはここにあるのだろうと確信させられた。
しかし最後に今後の目標を聞くと、また赤坂らしい答えを聞けた。
「自分はその時を頑張る人なので、頑張った結果として先に繋がればと思います。なので、今は全然ないです」
大学野球界で赤坂諒はどんな進化を遂げるのか。そして学生生活最後の4年間を頑張った先にどんな答えを出すのか。彼の大学野球での活躍を祈りたい。
(取材=田中 裕毅)