赤坂諒(上野学園) 最速151キロの剛腕は友達想い?!速球派右腕の思考に迫る【前編】
この夏。東東京大会を沸かせた剛腕・赤坂諒(上野学園)。186センチ80キロと恵まれた体格から振り下ろす直球の最速は151キロ。さらに打線の軸でもある赤塚は投打でチームを牽引し、投手として全6試合に登板し、46回を投げ、10失点の力投を見せ、創部初の4強に導いた。そんな赤坂のルーツや、自身の技術論、注目を浴びた最後の夏の舞台裏を振り返る。
自分のことよりみんなのことを優先する
インタビューに答える赤坂諒(上野学園)
小学校2年生の時に友達に誘われて、野球を始めた赤坂は、中学では元ロッテの上野大樹(帝京出身)など強豪校で活躍する選手を多く輩出する軟式野球クラブの名門・足立ブラックキラーズでプレー。赤坂は中学時代までは軟式野球でプレー。中学時代は外野手がメインだった。
「中学では人数が多くて、ピッチャーも沢山いたので大事な試合では外野を守っていました」
自身の投手としての能力について「ストレートがメインで、変化球が投げられなかった」と振り返る赤坂。赤塚を見出した上野学園の小川 貴智監督も、「ストレート一辺倒の投手で、崩れると一気に崩れました」と評する。
上野学園に進むきっかけとしてブラックキラーズの仲間の存在があった。
「同じチームから4人上野学園に進学することになって、できるだけ知り合いのいるチームに行きたかったので決めました」
赤坂自身、「自分は友達が好きで、自分のことよりみんなのことを優先するんです。だから自分のことよりも、みんなの結果が良ければと思っている」と語る。
高校から硬式を始める投手の活躍の分岐点は硬式に対応できるか。赤坂の場合、すぐにアジャストした。
「変化球が曲がりやすくなって、プラスしかなかった」と語る。
そんな赤坂が高校で覚えた変化球が夏の快投に繋がったスライダーだ。
「腕が横から出てしまうのですが、ボールの横半分を握って切るように投げます。これで投げられるようになりましたが、実は中学時代のカーブの握り方で、高校3年生の春になって投げられるようになりました」
持っているもので試合をやるしかない
赤坂諒(上野学園)
他にもカーブとパームを持っている赤坂だが、夏はストレートとスライダーをメインにして投げ抜いた。ではそのストレートはどんな意識をもって投げ込んでいるのか。
「握りは普通ですが、指先だけ意識して最後に押し込むようにしています。これで速くて、伸びのあるストレートを投げています」
赤坂自身が「キャッチャーまで真っすぐ行くようなストレート。速くても垂れないストレート」を理想に試行錯誤を繰り返した。それで行きついたのがボールを押し込む感覚だったのだ。
普段のキャッチボールから遊び感覚で投げ方、そして球種を試すことが多い赤坂。そうした中でその日のベストな投げ方を見つけているそうだ。
「ストライクが入らないだけでフォームを少し変えてしまうんですが、元から人に言われたらすぐに取り入れるんです。なので、フォームが固定できないのですが、大事にしているのは体を自然に使えるフォームです」
赤坂は下半身が使えず立ち投げであること、そしてスライダーを投げるときに横から腕が出たりしているのを理解している。それは自然体を大事にしているからであり、ピッチングをキャッチボールの延長だと捉えているからなのだ。
「(スライダーを投げる時に)腕が横から出ることは割り切っていました。大会が始まってから上から投げて曲がるとは限らなかったですし、ストライクが入らなければ仕方がない。持っているもので試合をやるしかないので、逆手にとって横からストレートを投げたりしました」
また、人の教えを取り入れる柔軟な姿勢も見逃せない。これを赤坂本人はこのように分析する。
「野球を見たことがないのに始めましたし、今もそこまで見ていないので知識が浅いんです。なので、自分より詳しい人が教えてくれているので、『とりあえずやってみよう』と思うんです。あっていたらやり続けますし、合っていなければやらないだけなので」
様々なことを試しながら、周りからのアドバイスを柔軟に取り入れる。こういった姿勢が赤坂の成長に大きく関わっていたのだ。
前編はここまで。後編では理想の投手像など、赤坂投手の考えに深く迫ります。後編もお楽しみ。
(取材=田中 裕毅)