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- 夏の甲子園初優勝へと導いた岩崎峻典投手(履正社)が急成長した理由とは【前編】
第1071回 夏の甲子園初優勝へと導いた岩崎峻典投手(履正社)が急成長した理由とは【前編】2019年10月24日
【目次】

[2]ベンチを外れた春季大会から変えた野球への取り組み
今夏の甲子園で悲願の初優勝を成し遂げた履正社において、救世主的存在となったのが、岩崎 峻典(2年)だ。清水 大成(3年)に次ぐ投手がチームの課題となっていたが、夏の大阪大会で台頭。甲子園では準決勝の明石商戦で1失点完投、決勝の星稜戦でも好リリーフを見せて、胴上げ投手の栄光に輝いた。この夏で岩崎が急成長した理由、そして今後の目標について聞いてみた。
ソフトボールから野球へ 地道な努力の日々

インタビューに答える岩崎峻典
大阪府大阪市に生まれた岩崎は2歳上の兄・佑亮さんの後を追うように小学生からソフトボールを始めた。始めた当初からポジションは投手だったという。
中学ではここでも兄が所属していた大淀ボーイズに入団。同期には履正社でもチームメイトになる島野 圭太がいた。ソフトボールから転向した岩崎はなかなか試合に出られなかったという。それでも、「人と同じことをしていても人より上手くなれないので、人より努力しました」と地道に努力を積み重ね、最上級生ではエースになり、全国大会にも出場した。
高校では「高いレベルで野球をしたかった」という動機から大阪の強豪校である履正社に進学を決めた。通いの選手が多い例に漏れず、岩崎も自宅から1時間近くかけて電車通学をしている。
入部した当初はレベルの高さに圧倒された。「最初の練習で周りのレベルの高さに驚いて、自分がレギュラーを取れるとは思っていなかった」と自分の実力に自信を持てずにいた。だが、1年秋にベンチ入りを果たす。
チームの命運を背負う立場となり、「チームを勝たせないといけない立場になったので、責任は重いです」と背番号を背負う重みを実感。秋の大会で登板する機会はなかったが、近畿大会で4強入りして、チームはセンバツ出場権を獲得した。
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