ほろ苦い甲子園デビューから1年・・・2年生エースへと成長を遂げた笠島尚樹(敦賀気比)【前編】
最速145㎞/hのストレートを武器に2年生エースとして今夏の[stadium]甲子園[/stadium]で16強入りの大きく貢献した敦賀気比の笠島尚樹。昨夏の甲子園では1回3失点とほろ苦い全国デビューとなったが、今夏には見違える姿を見せた。そこに至るまでの取り組みや来年に向けての意気込みを伺った。
県内の強豪・敦賀気比への進学を決心
笠島尚樹(敦賀気比)
小さい頃から壁当てやキャッチボールなどで野球に親しんでいたという笠島。小学3年生の5月に鳥羽野球部で軟式を始めると、他の選手よりも肩が強く、速い球が投げられるということから投手を薦められた。それ以来、投手として現在まで野球を続けている。
中学では「軟式をやるよりも高校に向けて硬式でやったほうが良いと思ったのと、レベルの高いところでやりたいと思った」という理由から鯖江ボーイズに入団した。「最初は硬球が重たくて、投げるのもしんどかった」と振り返るが、徐々に順応。チームのエースとなり、ストレートの最速は125㎞/hまで伸びていた。この時にバッテリーを組んでいたのが京都外大西の18152で、ジャイアンツカップにも出場している。
笠島が敦賀気比への進学を決めたのは中学3年生の時に夏の福井大会2回戦・福井工大福井戦を観戦したことがきっかけだった。この試合では6回を終えて5点リードを許していたが、7回、8回で2点差に迫ると、9回表に一挙9点を奪って、12対5で逆転勝利を収めるという劇的なゲームだった。
この試合を観戦して、「カッコいいなと思って、自分もそのチームでやりたいと思った」という笠島は県内の強豪である敦賀気比に進むことを決断。親元を離れて、寮生活をすることになった。
「やっぱりレベルが高いというのは最初から感じました。練習試合でも強いところとたくさんできて、凄く楽しかったですね」と入部当初を振り返る。2学年上に黒田響生(巨人)、1学年上に木下元秀とプロレベルの選手もいる中で笠島は1年春からベンチ入りを果たした。その理由は怖いもの知らずで打者に立ち向かうことができたからだという。
「スタートダッシュに成功できて、練習試合でも結果を残し続けられたのが夏に繋がったと思います。1年生であまりわからない状態で怖いものがなかったので、そういうところで結果を残せたんじゃないかなと思います」
[page_break:ほろ苦い甲子園デビューで誓ったリベンジ]ほろ苦い甲子園デビューで誓ったリベンジ
笠島尚樹(敦賀気比)
入部早々からアピールに成功し、メンバー入りを勝ち取った笠島。1年夏には[stadium]甲子園[/stadium]出場し、1回戦の木更津総合戦で6点ビハインドの8回に登板した。しかし、3点を奪われてほろ苦い甲子園デビューとなった
。
「緊張していたと思うんですけど、足が震えていた感じですね。頭が真っ白みたいな。投げ終わっても、全然投げていたことを覚えていなかったです」と過度な緊張に見舞われていたという。投球内容についても他の選手にアウトをどうやって取ったかを聞いて思い出すほど、頭の中が整理できていなかった。この悔しさを胸に「勝てるピッチャーになって来よう」と翌年へのリベンジを誓った。
さらなる飛躍を期すために冬場で取り組んだのがフォーム改善だ。これ功を成して、ボールの質が上がったという。
「フォームの改善したことで、コントロールが良くなり、真っすぐの球速やキレが増したと思います。相手打者の反応もけっこう変わってきたので、良い冬の期間を過ごせたと思います。特に足の上げ方を意識して直しました。最初はしっくりこなかったんですけど、だんだんしっくり来た感じです」
後日に昨夏と今夏の映像を見比べてみると、今夏の方が足を上げるスピードが速くなっているように感じられる。動きがスムーズな投球フォームを手に入れたことによって、投げるボールが進化した。その手応えを感じられるようになったのが、春の北信越大会1回戦の日本航空石川戦だ。この試合で笠島は1回裏に味方が取った1点を守りきり、完封勝利を収めた。
「そういう試合で完封できたのは自信になりましたし、ここからもっとこれ以上を目指せることがわかりました」と緊迫した試合で好投できたことが自信と成長に繋がった。
夏の福井大会では「最初が良くなかった」と不満が残る内容だったが、試合を重ねるごとに調子を上げ、決勝の丹生戦では完封勝利。これ以上ない形で2年連続の[stadium]甲子園[/stadium]出場を決めた。
前編はここまで。後編では3年連続の甲子園出場に向けての思いを聞きました!
(取材=馬場 遼)