敦賀気比の4番として、今夏の甲子園では12打数7安打6打点と大活躍を見せた木下 元秀。広角に打ち分ける卓越した打撃技術でチームを甲子園16強に導いた。昨夏は投手として甲子園に出場したが、左肘を痛めて昨年11月に野手転向を決断。それから1年足らずでどのようにしてプロ注目の打者へと成長を遂げている。その裏には不断の努力があった。
前編では木下が野球を始めたころから、打者としてのスタートを切り始めた3年生の春季北信越大会の頃まで振り返ってもらった。後編では夏の大会をメインに語ってもらった。
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左腕エースからプロ注目のスラッガーへ 木下元秀(敦賀気比)の努力の軌跡
奥川恭伸との対戦が大きな糧に

トレーニングをする木下元秀
打者として上のステージを目指す中で大きな影響を与えた選手がいた。それは星稜の奥川 恭伸だ。世代トップクラスの右腕とは北信越大会決勝で対戦し、4打数1安打1打点の結果を残している。奥川の印象を訪ねると、「いや~エグかったですね」と笑いながら前置きした後にこう振り返ってくれた。
「真っすぐも150キロ超えていましたし、スライダーが消えていましたね。真っすぐだけでもなんとかなのにスライダーやフォークを混ぜられたら打てないです。あのピッチャーより良いピッチャーはなかなかいないと思うので、春の段階でやらせてもらったのは大きかったですね」
春の段階で一流のボールを体感したことが、後に甲子園で活躍することに繋がったのは言うまでもない。そして、甲子園を懸けた夏の福井大会も甲子園で勝ち抜くために大きな経験だったと振り返る。
「どこの投手も気持ちがこもった球を投げていましたし、僕もなかなか打てなかったですね。北信越大会で準優勝して警戒されていましたけど、そこで勝てたことで甲子園でも勝てるようになったのかなと思います」
優勝候補として他校からマークされ、楽な試合は一つもなかった。その中でも粘り強く戦って、決勝に進出。2年連続の甲子園出場に向けて最後に立ちはだかったのが、プロ注目の左腕・玉村 昇悟だった。木下は2点リードで迎えた3回表の第2打席で犠飛を放ち、貴重な追加点を挙げる。このリードを守り抜いた敦賀気比は3対0で勝利。甲子園出場を勝ち取った。
甲子園が決まった時、木下の頭の中に浮かんでいたのは1年前に「絶対に甲子園に戻って来いよ」と激励してくれた昨年の3年生の姿だったという。先輩への感謝の気持ちを噛みしめながら、レフトから歓喜のマウンドへと向かっていた。
いよいよ迎えた2度目の甲子園。怖さを感じていた前回とは違って、堂々とした気持ちで大会に臨んでいた。
「今年は最後の夏なので、やるだけでした。楽しみながらやろうと思っていたので、気が楽でしたね。甲子園に行く前にいいピッチャーと対戦させてもらったので、全員が自信を持って、『やったろか!』という気持ちになったことで、2回勝てたんじゃないかなと思います」