探究心豊かな速球派右腕・岡林勇希(菰野)。153キロを投げるのは必然だった【前編】
西勇輝(阪神)をはじめ、毎年、プロ注目投手を輩出しつづける菰野(三重)。今年も高卒プロを狙える剛腕がいる。それが岡林勇希だ。
2学年上の兄・飛翔(広島東洋 2019年戦力外)に憧れて野球を始めた岡林は、今、153キロ右腕としてNPB各球団から注目を集める存在となっている。
岡林の成長の軌跡を追っていくと、実に探究心豊かな投手であることが分かった。
兄の影響で野球を始め、菰野高校に入学
キャッチボールを行う岡林勇希(菰野)
岡林が野球を始めたのは兄・飛翔の影響が大きい。
「小学校2年生で野球を始めました。きっかけは小学校4年生の兄が野球を始めて、僕も兄と一緒に野球をやりたいと思ったからです」
投手を始めたのは小学校4年生から。その後、松阪梅村リトルシニア(現・奥伊勢松阪シニア)に進み、5番ピッチャーとして活躍。中学3年生の時点で135キロを投げ、三重県内では指折りの投手として注目されるようになった。兄がいる菰野に進学する決め手となったのは、先に菰野で野球を続けていた兄の進化だった。
「中学3年生の夏に、兄が投げる試合を見に行ったのですが、その試合で兄が150キロを投げたんですよね。兄は中学生の時から結構速いボールを投げていて、130キロ程度でした。ですから、150キロを投げたことは本当に驚きで、兄がこんなに成長する菰野に進んで自分も成長したいと思いました」
投手育成力に長けた菰野に進学を決めた岡林。なんと入学時には球速が141キロまで伸びたが、その理由はストレートの握りを変えるようになったからだ。岡林のストレートの握りは独特で、指を閉じて投げる。
「ストレートの握りを変えたきっかけは藤川球児投手の動画を見たことです。藤川投手がストレートを投げるときに指を閉じて投げているのを見て、実際に試したら、5キロもスピードアップしました。このリリースにすることで、指先に一転集中ができ、ボールの伝わり方が変わりましたね」
この探究心の深さこそ岡林の武器である。それは菰野の環境、指導方針にもマッチしていた。
トレーニング、体づくりにこだわり、東海地区屈指の速球派右腕へ成長
打撃を行う岡林勇希(菰野)
投手育成力が高い菰野は栄養士の指導による体づくりや、ウエイトトレーニングなど強豪私学顔負けの環境だが、投球フォーム指導においては個性を尊重する。数多くの好投手育成を手がけた菰野・戸田直光監督は「僕自身が事細かく教えないので選手自身が日々の練習で工夫して、技術を習得していく姿勢が大事」と選手の自主性を求めている。
中学生の時点でボールの握りからこだわるほど探究心が深い岡林は、菰野に進学し、トレーニング、体づくりにもこだわった。
ではどんなふうにこだわったのか、1つずつ答えてもらった。
■トレーニング
僕はピッチングにおいて「下半身」が大事だと思っています。自分のピッチングの考え方として、下半身で蓄えた力をリリースに伝えることを大事にしています。3年間のトレーニングのほとんどが、下半身中心のトレーニング。特にやっていたのはスクワット、ランジスクワットでした。また、上半身はあまりつくりこまず、なるべく肩甲骨の柔軟性を失わないように心掛けました。
そうすることで、実際にストレートの球速も大きく高まりましたし、下半身は大事だと思っています。
■体づくり
僕は速いストレートを投げるにも、ボールを遠くへ飛ばすにも「体重」が大事だと思っているので、入学時から体づくりに取り組んでいました。
最初から量を食べることにこだわっていました。ある時、栄養士の方から、「朝を多く食べて、夜はそれほど食べなくていい」とアドバイスをもらい、それまでは夜も多く食べるほうでしたが、そのパターンに切り替えました。すると体重も大きく増え、入学当時の173センチ63キロから175センチ74キロに増えました。
■投球フォーム
基本的に下半身を中心に体全体を使うことを大切にしていて、僕は遠投をかなりやります。フォームは体を大きく使うことを意識し、高校入学直後、左足を挙げた後、左腕のグラブを高く掲げるフォームに変えました。このフォームで球速もかなり上がり、150キロ近くまで速くなりました。
こうして、高校2年生秋には、東海地区屈指の速球派右腕として注目を浴びる存在となっていたが、東海大会では中京大中京戦で先発した岡林は完投したもののサヨナラ負け。8.2回を投げ、被安打11、6四死球、4失点と悔しい投球内容に終わった。この負けは岡林にとって1つの転機となった。
前編はここまで。後編では最後のオフシーズンの過ごし方や、夏の試合を振り返り。そしてドラフトを控え、プロへの意気込みを語ってもらいました。後編もお楽しみに。
(取材=河嶋 宗一)