152キロの剛腕サイド・村西良太を覚醒させた「昼寝」と「巨人・畠からの金言アドバイス」
サイドスローに近いスリークオーターから繰り出す最速152キロのストレートが光る、今秋のドラフト候補・村西良太。大学通算奪三振率は10.98(今春のリーグ戦終了時点)。高い奪三振率を誇る、伸びしろたっぷりの右腕を直撃すべく、近畿大野球部グラウンドが位置する奈良県生駒市を訪ねた。
後編では大学入学後の悩みや、3年秋以降の飛躍の理由について聞いた。
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エースになれなかった中・高時代 転機となったサイドスロー 近畿大の152キロ右腕・村西良太【前編】
畠世周(現巨人)からの金言アドバイス
ブルペン投球中の村西良太(近畿大)
「大学入学時は不安しかなかったですね。周りは名門の強豪校出身の選手ばかり。『自分は球がそこそこ速い程度。試合に出るのは厳しそうだなぁ…』と思いながら最初の頃はやってました」
その不安とは裏腹に1年秋にリーグ戦デビューを果たした村西。リリーフで6試合に登板し、防御率2.84をマーク。順調な滑り出しを見せた。
「秋季リーグ戦前のオープン戦でコントロールがぐっとよくなったんです。それまではピンポイントでコースを突けるコントロールはなかったのですが、構えたところにある程度いくようになった。それが思ったよりも早いリーグ戦デビューにつながりました」
コントロールが向上した要因を尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。
「当時4年生だった畠世周さん(現・巨人)のアドバイスが大きかったですね」
――その話、ものすごく興味があります。よければ詳しくお聞かせください。
村西 投手(以下、村西) 1年夏に「まずは狙ったところに投げられる感覚を軽く投げる練習の中で覚えろ」と言われたんですよ。
――「こう投げれば、あそこに行く」という公式を自分の体の中に作り上げろ、という意味ですか?
村西 そうです、そうです。「思い切り投げる必要はないから、まずは狙ったところに投げるための公式を体で覚えろと。それを覚えたら、あとはリリースで力を加えていけばいいだけだから」と。
――なるほど。
村西 そのアドバイスをいただいてから3、4割の力でおこなうブルペン投球を1年夏の間、毎日のようにおこなったんです。そうしたら本当に狙ったところにいく確率が高くなって。オープン戦で好結果を出せたことが秋のリーグ戦デビューにつながりました。
――1年秋には当時の自己最速記録を更新する149キロをマーク。コントロールの向上だけでなく、スピードアップにも成功しました。
村西 それまでは体を回して投げるという感覚はなく、どちらかといえば腕だけで投げてる感じだった。でも3,4割の力で外角低めを狙う際、体をしっかりとひねって回していかないと高い確率でそこにいかないので、自然と全身を使った、回転をしっかりと生かしたフォームが身についていったんですよ。
――そのことがスピードアップをも導いた。
村西 自分ではそう思っています。腕でなく、体の大きな部分を意識して使えるようになったことで、フォームの再現性が高まり、ボールにしっかりと力が伝わるようにもなった。
――飛躍を呼び込んだのは畠さんの金言アドバイスだったんですね。
村西 自分にとって大きな転機となるアドバイスでした。ものすごく感謝しています。周りからも「149キロが投げられたんだから、頑張ればプロも狙えるぞ!」と言われて。「プロに行きたい!」という気持ちが芽生えたのもこの時期でした。
[page_break:飛躍を呼び込んだ「睡眠」]飛躍を呼び込んだ「睡眠」
村西良太(近畿大)
――2年生以降のさらなる飛躍が期待されたものの、2年春から3年春までの3シーズンで登板数はわずか2。この時期は故障に悩まされていたのでしょうか?
村西 投げられないほどの故障というわけではなかったのですが、背中痛にちょくちょく悩まされたりして、体調が優れない時が多く、調子が思うように上がっていきませんでした。体調が万全じゃない状態で投げ続けるとやはりフォームの再現性も低くなる。1年秋のよかった感覚を取り戻せないまま、3シーズンが過ぎていった。もどかしく、苦しい3シーズンでしたね。
――ところが3年秋に救援で10試合に登板し、24回三分の一を投げ、2勝、防御率2.22をマーク。今春は先発として4勝、防御率1.74をマークし、ドラフト候補として評価を大きく上げました。大躍進の背景が知りたいです。
村西 そうですねぇ…。たくさん寝たのがよかったような気がしています。
――たくさん、寝た…?
村西 練習は主に午前中なのですが、2年生までに比較的順調に単位が取得できたこともあり、3年になってからは午後に学校で授業を受ける機会が大幅に減って、けっこう暇になったんですよ。といって、寮から最寄り駅まではけっこう距離がありますし、街に出て遊ぶのも面倒くさいなと。やることがないので、昼寝をしちゃえと思って。3年春のリーグ戦が終わってから、とにかく毎日のように寝まくっていました。
――1日にどのくらい寝たのですか?
村西 午前の練習のみで終わる平日だと、14時くらいから19時くらいまで寝てましたね。そして夜の0時から朝の7時までまた寝る。24時間中12時間くらい寝てました。
――たくさん睡眠をとることによる効果はどんなところに現れたのでしょうか。
村西 今までは朝起きた時に前の日の疲れが残っている感覚があって「ダルいなぁ…、体重いなぁ」なんて思いながら目覚めていたのですが、たくさん寝るようになってからは疲労を感じることなく、すっきりと朝に起きれるようになったんです。いつしか背中の痛みも出なくなり、体調がものすごくよくなった。体も大きくなりました。
――コンディションだけでなく、体のサイズにも影響があったのですか?
村西 3年夏から秋にかけての2か月だけで65キロだった体重が73キロになりました。
――2か月で8キロ増!?
村西 ええ。ずっとコンディション不良に悩まされていたので、故障に負けない強い体を作りたいと思い、それまでほとんどやってこなかったウエイトトレーニングに取り組み始めた時期でもあったんです。練習でウエイトをしっかりやった上でしっかり寝たからか、体がみるみる大きくなって。きっとウエイトだけじゃあそこまで短期間に大きくなれなかったと思います。
ーーたくさん寝たことにより、体のコンディションがよくなり、排気量も増した。
村西 そうです。3年秋に152キロが出たのも、たくさん寝たからだと思っています。
――面白いですねぇ…。現在のボディサイズは?
村西 昨秋以来、ずっと174センチ73キロです。体重は今がベストの感覚がありますね。大学に入った時が172センチ62キロだったことを思えばけっこう大きくなりました。
――現在も練習後の昼寝は継続しているのですか?
村西 今は前ほどには寝れてないですね。いろいろとちょっとプライベートのほうが…。
――忙しくなった?
村西 はい。
――もしかして、彼女ができた…?
村西 そうですね(笑)。練習が終わってから電車に乗って街に出たりすることが多くなった分、昼寝の時間は減りました。
――野球もプライベートも充実していてなによりです!
[page_break:プロに入ることはゴールではなく、始まり]プロに入ることはゴールではなく、始まり
――現在の持ち球は何種類あるのですか?
村西 ストレート、スプリット、スライダー、カーブです。スプリットを3年秋に習得したことが奪三振率の向上につながりました。
―― 一番自信があるボールは?
村西 ストレートですね。ストレートが狙ったところに決まれば打たれない感覚があります。
――投手としての課題はどのあたりにあると感じていますか?
村西 ストレートにしても変化球にしても狙ったところを突ける割合がまだ低いことですね。現在はストレートで6割程度。変化球だともっと精度が低くなる。これを少なくとも8割に上げたいです。
――この記事を読んでいる高校球児に送りたいメッセージはありますか?
村西 しっかり体を休めることはものすごく大事。積極的に休むことも練習のうち、という感覚を持ってほしいですね。ぼく自身もしっかりと体を休めるようになってから、いい結果がついてくるようになりましたから。
――ものすごく説得力があります。最後に今後の意気込みを教えてください。
村西 球速にはそんなにこだわってはいないのですが、自己最速の152キロを更新してドラフトを迎えたいという気持ちはあります。プロに入ることはゴールではなく、始まり。最高峰の舞台で活躍できるよう、大学の間にできる限り、土台を作っておきたいです。頑張ります!
(記事=服部 健太郎)
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エースになれなかった中・高時代 転機となったサイドスロー 近畿大の152キロ右腕・村西良太【前編】