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第1024回 エースになれなかった中・高時代 転機となったサイドスロー 近畿大の152キロ右腕・村西良太【前編】2019年09月29日
【目次】
[1]投手人生の大きな転機となったサイドスローへの転向
[2]エースにはなれなかった中・高時代
サイドスローに近いスリークオーターから繰り出す最速152キロのストレートが光る、今秋のドラフト候補・村西良太。大学通算奪三振率は10.98(今春のリーグ戦終了時点)。高い奪三振率を誇る、伸びしろたっぷりの右腕を直撃すべく、近畿大野球部グラウンドが位置する奈良県生駒市を訪ねた。
投手人生の大きな転機となったサイドスローへの転向

村西良太(近畿大)
「村西です。今日はよろしくお願いします」
全体練習終了後、グラウンドに隣接する近畿大野球部寮のロビーにておこなわれたインタビュー。丁寧な挨拶とともに筆者の名刺を受け取った今秋のドラフト候補は、少しはにかんだような笑顔を浮かべながらアイスコーヒーを口に含んだ。好青年オーラが印象的な大学4年生。佇まいはいかにも「普通の大学生」だが、ひとたびマウンドに上がると、最速152キロのスピードボールを繰り出す剛腕と化す。
「『体のわりにえげつない球投げるな』とはよく言われますね。高校の頃から言われていました」
「今日は村西投手のこれまでの野球人生についてもいろいろとお聞かせください」
「わかりました!」
兵庫県・淡路島で生まれ育った村西。地元の軟式少年野球チーム「佐野ドルフィンズ」に入団したのは小3の時だった。
「たまたまグラウンドでチームが練習しているのを見る機会があったのですが、すごく楽しそうだなと思って。気づけば『自分もやりたい!』という気持ちになっていました。ポジションは1番最初がセンターで上級生になるとピッチャー兼ショート。当時はオーソドックスなオーバースローで投げていたのですが、コントロールがすごく悪くて…。肩は強かったので球はまぁまぁ速い方だったのですが」
中学では硬式クラブの「アイランドホークス」でプレー。1年秋からは投手も務めるようになったが、監督の勧めで腕の位置を下げたところ、制球力が大幅に向上した。
「監督に『腰の回転がサイドの使い方だから腕を下げた方が合う』と言われ、オ―バースローからサイドスローに限りなく近いスリークオーターの位置まで一気に腕を下げたところ、ボールのスピードはそのままで、コントロールがかなりまとまるようになったんです。すぐに『腕を下げたフォームの方が自分に合っている!』と思えましたね。以来、腕の位置は今日までずっと同じ。腕を下げるなんて自分ではおそらく考え付かなかった。自分にとっての大きな転機のひとつだと思っています」