高校時代は藤平・石川に隠れる存在だった北山比呂(日本体育大学)はいかにしてプロ注目右腕になったのか?
9月7日にプロ志望届を提出し、ドラフト指名の期待が懸かるのが日本体育大の北山比呂だ。最速154キロの速球を武器に、今春のリーグ戦では最優秀投手に選出され、日本代表にこそ選ばれなかったが、大学日本代表選考合宿でも力強いストレートを披露した。
そんな北山の力強い直球のルーツは、横浜高校時代からに遡る。「最速154キロ」到達までの道のりを追った。
走り込みは必要な時期もある
北山比呂(日本体育大学)
北山は、横浜高校時代から速球派としての片鱗を見せていた。藤平尚真(東北楽天)、石川達也(法政大)といった一学年下の好投手の陰に隠れた存在であったが、高校3年の夏には決勝の東海大相模戦で145キロを記録。公式戦登板も決して多くはなかっただけに、その実力に驚きを見せた高校野球ファンも多かった。
「高校時代は伸び悩みもありました。下に藤平もいましたので、球速を上げないと追いつかないという意識があったのですが、でもどうしたら球速が上がるのかが分からなくて。
最後も145キロがでましたが、ちょっと遅かったなという感じでした」
高校時代の3年間を振り返ると、北山はランニングばかりをこなしていたことを口にする。トレーニングと言えばメディシンボールを使ったメニューくらいで、あとはポール間走やアメリカンノック、ペッパーなど、とにかく走り込みのメニューを行っていた。
北山は高校時代のランニングメニューについて、年齢や時期に応じてランニングメニューが組まれていたことで、最終的に140キロ台中盤まで球速がアップしたと分析する。
北山比呂(日本体育大学)
「走り込みは必要な時期もあると思います。走り込みをやる時期と、やらない時期を分けた方がいいのかなと思いますし、特に瞬発系の短距離走はトレーニングにも繋がってくると思います」
横浜高校のランニングメニューは、松坂大輔投手や涌井秀章投手など多くの一流投手を鍛えていったことで有名だが、北山もそうした環境の中で少しずつ力をつけていったのだ。
そして日本体育大学入学後、北山の球速をさらに押し上げる練習や出会いが待っていた。
まず一つ目は、ウエイトトレーニングを本格的に始めたことだ。
大学2年の秋頃からに球速が一気に上がったと語る北山だが、これは大学入学後から取り組んだウェイトトレーニングによるものであると考えている。
「ウエイトトレーニングや、チューブを使った補強トレーニングを継続して行ったことで、体とフォームがやっと合うようになってきたと思います。入学した時はまだ体が出来ていませんでしたし、体が出来たことでフォームも崩れなくなったと思います
トレーニングにより、高校時代は70キロほどだった体重は79キロまで上昇。筋肉量もアップし、フォームが崩れず怪我もしない体が作られていったのだ。
一日中野球ができることがすごく楽しみ
北山比呂(日本体育大学)
大学入学後の成長はトレーニングだけのお陰ではない。人との出会いもまた、北山の成長を大きく後押しした。
北山が大きな出会いとして挙げたのが、2018年のドラフト会議でプロ入りを果たした松本航(西武ライオンズ)と東妻勇輔(千葉ロッテマリーンズ)の二人だ。
「会話をよくしてくださったことが、僕たちが一番成長できた要因かなと。日本体育大は変な上下関係を無くして、先輩とも話しやすい関係を築いているので、わからないことは松本さんや東妻さんに聞ける環境がありました」
松本から特に教わったのが、投球フォームについてだ。右足の体重を左足にぶつける感覚で体の開きを抑えるキャッチボールを教わったことが、今の投球フォームに良い影響を与えていると北山は話し、また東妻からもチューブトレーニングでのアドバイスをよく受けていた。
北山比呂(日本体育大学)
「わからないことをわからないままにするのではなく、松本さんや東妻さんが教えてくださったことが、自分たちの能力アップに繋がっていったと思います。そこが一番良かったのではないかなと思います」
こうしてアマチュア屈指の球威を手に入れ、ドラフトを迎えようとしている北山。
今はまだプロでの活躍は全くイメージできないと明かすが、それでも野球に没頭できる環境に身を置くことには楽しみがあると話す。
「一日中野球ができることは、すごく楽しみだなと思っています。野球に対しては、すごく楽しくと言うか前向きに取り組むことができているので、プロに入ると伸び悩みや葛藤もあると思いますが、野球に時間を費やせることはすごく楽しみですね」
今となっては松本や東妻とは連絡を取り合うことはあまりなく、プロの世界の様子を聞くことも全く無いと話す北山。だが、その野球を楽しむ気持ちがあれば、プロの世界でも戦い抜いていくことはできるはずだ。豪腕の進化に期待したい。
(記事=栗崎 祐太朗)