会社・スタッフ・地域…… 「このチームで」日本一にるために 河野 竜生(JFE西日本)
真夏の熱き戦いは高校野球だけではない。7月13日(土)に東京ドームで開幕。黒獅子旗をめぐり13日間の日程で開催される「第90回都市対抗野球大会」も別名「真夏の祭典」にふさわしいハイレベル熱戦が繰り広げられている。
その中で最速151キロ左腕としてドラフト1位候補にもあがっているのが鳴門<徳島>高卒3年目のJFE西日本・河野 竜生(174センチ85キロ・左投左打)である。チームを準優勝に導いた社会人野球日本選手権に続き、都市対抗中国地区予選での快刀乱麻ピッチングにより評価がうなぎのぼりとなった河野。では、3年連続夏の甲子園に出場した鳴門時代からの「成長」どこにあるのか?高校時代の彼をよく知る筆者が直撃した。
中国地区予選「2日連投」の裏側
河野 竜生(JFE西日本)
―― チームとして中国地区第1代表での3年ぶり10回目・都市対抗出場おめでとうございます。まずうかがいたいのは中国地区予選での準決勝・第1代表代表決定戦での2日連投。登板までにはどのような経緯があったのですか?
河野 竜生投手(以下、河野) 準決勝(シティライト岡山戦)を投げ終えた時点で、予選リーグ初戦のJR西日本戦後よりはるかに疲労感がなかったんです。「明日も投げられるかな」という感覚がありました。
それと昨年、JFE西日本は第1代表決定戦・第2代表決定戦で連敗して都市対抗出場ができなかった悔しい思いをしていたし、僕自身も何としても自チームで都市対抗に行きたい思いがありました。加えて「投げられる」と自分でも思ったので(川崎 正昭・投手)コーチに報告したんです(第1代表決定戦は河野投手が1対0で完封)。
実は試合前に三菱重工広島の選手とも会話する機会があったんですが、向こうは全く僕が投げると思っていなかったですね(笑)。
――その連投を可能にしたのはやはりオフ期間のトレーニングの成果だったと思います。
河野 昨年の日本選手権決勝(三菱重工名古屋戦)では僕が1失点して同点にされて、最終的に負けてしまった(延長13回1対2)ので、ああいった舞台で粘れるために下半身を中心に体力強化もしましたし、トレーニング量も昨年よりは増やしました
――それと、昨年よりボールの質も明らかに上がっています。
河野 自分ではそんなに違ったことをしているわけではないんですが、コーチと話をする中で感覚的な部分も含めて微修正を続ける中で自分の理想とするフォームに近づいて、ボールの質もシーズン開幕当初よりはよくなっていると思います。
スピードについては意識していませんでしたが「自然と上がってきたな(最速148キロから151キロへ)」という感覚です。
――フォームづくりをする上でのポイントはありますか?
河野 僕はリリースの時にグラブが外側に開く癖があるので「グラブを絞り込む」ことを大事にしています。身体の内々でグラブを使いたいし、それができないと故障にもつかなる。そのために肩甲骨の可動域や股関節、体重移動などすべてに取り組んできました。
そこで「一瞬の絞り込み」ができていない時はやはりボールが乱れている。そこを意識することによって、自分でも制球にまとまりが出てきたと思います。
――練習を見てもキャッチボールや壁あてをする中でのフォームづくりに気を遣っていますね。
河野 今日(6月28日)は中国地区予選も終わった直後なので、疲労を取りながら大会で投げた感覚を忘れないように意識して投げました。
――昨年の社会人野球日本選手権もその成長過程にあったのですか?
河野 はい。予選が終わった後に川崎コーチから「絞り込み」について教えて頂いて、そこだけを大会では意識していたんです。すると制球もよくなって自滅もしなくなりました。
――すると今年はそこに「強さ」を加えたイメージ?
河野 そこもありますが、対打者にたいして「身体全体で向かっていく」「絞り込む」を意識しています。中国地区予選ではそれができていたから相手にとっても脅威になれていたし、打者の反応を見てもストレートに振り遅れたり、ストレートからの変化球でボール球を振ってくれていたので「質が上がった実感のあるストレートでいつも通りのピッチングをすれば大丈夫」というイメージはありました。
――そう振り返ると昨年12月に社会人選抜の一員として台湾でNPB選手や台湾・韓国のプロとも対戦した経験も、大きかったですか?
河野 僕は「自分の生命線はストレート」とずっと言っていますが、ある程度はウィンターリーグでもストレートは通用した。そこは自信になりました。
「このチームで」日本一に「その先にある」ドラフトへ
投手ノックで笑顔を見せる河野 竜生(JFE西日本・投手)
――初優勝を目指す都市対抗野球大会、そしてJABA岡山大会の優勝ですでに2大会連続13回目の出場を決めている社会人野球選手権も秋には控えています。そこに向けて河野投手が積み上げていきたいものはありますか?
河野 都市対抗中国地区予選を振り返っても準決勝では無駄な四球からピンチになっていました。そういうことをなくせるように、バックを信じて投げていきたいと思います。
――そして今年はプロ解禁年にもなります。そこの意識はありますか?
河野 スカウトの方が数多く足を運んで頂いていることは知っていますが、今年の一番の目標はこのチームで東京ドームに出て、そして日本一になる。自分のことよりチームのことを優先して僕は投げていきたいと思いますし、その結果がその先のドラフトにもつながると思っています。
――「思いの強さがある」ということですね。
河野 鳴門高校時代は正直「自分のために」という部分もありましたし、最後の夏に甲子園準々決勝で負けたのもそれがあったからだと思うので。だからマウンドでは「自分がエースだ」と思い込んで、粘り強く味方の得点より1点でも少なく抑えるようにやっていきたいと思います。
実家に帰ったら母校にも寄るんですが、(森脇 稔)監督やコーチも応援してくれるし、会社・福山市や倉敷市となた地域もお上してくれるので、そこに応えたいですね。
――この「高校野球ドットコム」読者、特に高校生投手へのメッセージもお願いします
河野 僕が社会人まで野球をやってきた中で高校の3年間は一番きつかったので、今を耐え抜けば自分では想像もできなかったような世界があると思うので、この先を信じてやっいってほしいと思います
――確かに鳴門の時はそうでした(笑)
河野 僕らの代は下級生の時から試合に出ている選手が多かったし、最上級生では「連続出場のプレッシャーをはねかえせ!」と監督からも言われていたので、どんなチームに対しても挑戦者のつもりでやっていました。
――最後に都市対抗含めた今後の意気込みを
河野 都市対抗野球は僕は3回目ですが、自チームでははじめて。そしてチームの目標は日本一なので、そこを目指して。「自分から周りに、自分が悪くてもチームが勝てばいい」という考えになって、自分自身もよくなりましたし、社会人日本選手権でも「1球1球」と思って投げられました。
このチームで日本一になりたい思いは今までにないくらい強いので、最後のマウンドは自分でなくてもいいので最後は全員で喜びたいです。
――今回は貴重なお話、ありがとうございました。
河野 ありがとうございました!
取材=寺下 友徳
関連記事はこちらから
◆今年は高卒3年目の「1998年生まれ」の社会人投手5人衆に注目だ!
◆【「2018実りの秋」から「2019開花の春」へ