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- 「究極の技巧派」志し 広島新庄「右エース初甲子園」へ 桑田 孝志郎(広島新庄)
第994回 「究極の技巧派」志し 広島新庄「右エース初甲子園」へ 桑田 孝志郎(広島新庄)2019年07月10日

【目次】
[1]宇部のバスケ少年、「あこがれの人がいる」広島新庄へ/「投手らしくない」を強みにして
[2]「上手い投手」になり全員で甲子園へ
センバツ出場の広陵と夏のシード権も獲得した市立呉。春の県大会Vの広島商を筆頭に如水館・崇徳・広に沼田・広島井口・尾道商と並んだシード校をはじめ、今年も群雄割拠で迎える「第101回全国高等学校野球選手権広島大会」。これに対し、前回大会準優勝で4年ぶりの夏甲子園を見据える広島新庄の命運を握るのが、1年夏から登板、約2年間主戦を務めあげた最速147キロ右腕の桑田 孝志郎(3年)である。
そんな彼が志すのは「究極の技巧派」として右のエースで甲子園に行くこと。その真意はどこにあるのか?今回は改めて桑田投手のここまでの球歴について聴くと同時に、最後の夏へ向かう想いを聴いた。
宇部のバスケ少年、「あこがれの人がいる」広島新庄へ

キャッチボールから力強く投げる桑田 孝志郎(広島新庄3年・投手)
―― まず桑田投手が野球をはじめたきっかけから教えてください。
桑田 孝志郎投手(以下、桑田) 宇部市立(山口県)恩田小2年の冬、仲のいい友だちかから誘われて「やってもよう」と思ったので軟式野球チーム「恩田クラブスポーツ少年団」で野球を始めました。
―― それまでスポーツは何をしていたのですか?
村田 兄もしていたバスケットボールです。
――ということはひょっとしたらバスケットボール選手になってる可能性もあったんですね!では、恩田クラブでは投手をしていたんですか?
村田 いや、恩田クラブでは主に遊撃手でした。投手は小6でちょっとしていたくらいです。
―― 中学校は宇部市立常盤中の軟式野球部。この時のポジションは?
桑田 2年生まで捕手で最上級生から投手になりました。実は小学校時代にあまりストライクが入らなかったので、当時は投手へのあこがれはあまり持っていなかったんです。捕手の方が楽しかったですし、最初は投手をやりたくなかったんですよ。
でも、もともと肩は強い方でしたし3年の時に相手を抑えることができたので「高校でも投手をやってみよう」と思ったんです。
―― 高校は地元・山口県ではなく、広島新庄への道を選択します。
村田 昨年キャプテンをしていた古川(智也・遊撃手・現:慶應義塾大1年)さんは同じ山口県出身(小野田市立厚狭中出身)ですし、実際に対戦もして「すごい人だな」と思っていたんです。その方が1年夏から甲子園に出ていましたし、古川さんとも話をする機会もあったので、学校見学に行ってみたんです。そこでみんなが楽しそうに練習しているのを見て「ここでやってみたい」と思って、広島新庄への進学を決めました。
――広島新庄では木村 優介捕手(3年)と共に入学直後からAチーム入り。2017年5月の「高知県高等学校野球連盟特別招待試合」にも登板しています。
村田 入学当初は「自分のレベルでは通用する世界ではないな」と感じていたんですが、少しずつ練習試合で投げさせて頂く中、抑えることができました。なのでここで入学前の「野手も含めて」から「投手一本、そして新チームからエースになる」と考え方を変えて今になってます。
「投手らしくない」を強みにして

体幹トレーニングに取り組む桑田 孝志郎(広島新庄3年・投手)
――とはいえ、桑田投手のフォームはいい意味で「投手らしくない」です
村田 はい(笑)。自分としては「投手として投げる」よりは「身体全体を使って投げる」ようにしています。遠投のイメージで1球1球形を作るのではなく。短い距離を投げる感じです。
―― となると、投球前のルーティンワークなども他の投手とは異なってきますか?
村田 試合前は遠投で気を遣っています。いわゆる中間距離、50~60メートルの距離で低く強いボールを投げることを意識してからピッチングに入るようにしています。
そしてマウンドでも自然体で、テンポよく「返球ももらってすぐ形を作って投げる」。握りを意識することもあまりありません。
今の持ち球はストレート(最速146キロ)、迫田(守和)監督から教えて頂いたカットボール、僕が一番自信を持っているスライダー、カーブ、ツーシーム、フォークとありますが、自分の強みは捕手経験を活かした持ち替えの速さや好きなバント処理も含めた「投手らしくない」部分だと思っています。
―― では1年秋からエースになった桑田投手が感じ取ったことは?
村田 自分から見ても竹辺(聖悟・現:龍谷大1年)さんなど先輩方にいい投手がいる中で大事な場面を任して頂いた中、自分1人で投げるというよりも「先輩たちにつなぐため、いけるところまで1イニング1イニング」を意識していました。
―― 下級生時代に印象に残っている試合はありますか。
村田 公式戦であればやはり2年夏の広島大会決勝戦・広陵戦(延長10回完投も4対5でサヨナラ負け)です。3回裏に3点を失った以外は、自分の理想とするピッチングがある程度できたのでかなり自信になりました。
―― ちなみに桑田投手にとって「理想とするピッチング」とは……
村田 三振を奪うのではなく、できるだけ球数を少なくしたい。理想は9回27球で打たせて取る形です。だから僕は変化球をストレートに近づけるようにしたいと思っています。
―― その一方で最終学年のここまでをどのように自己分析していますか?
村田 先輩が抜けたことによって秋は(県ベスト4も3位決定戦2対5で崇徳に敗れ中国大会出場ならず)「自分で抑えなくてはいけない」という気持ちが強すぎて、カウントも悪くなって。自分の持ち味である打たせて取るピッチングがなかなかできなかったんです。
でも、コントールとボールのキレをテーマに瞬発系トレーニングを多く入れた冬を超えて春はだいぶ自分のピッチングを取り戻してきたし、悔しさ(3回戦で如水館に3対5)の中でもカウントの取り方や9回を投げ切る方法などいい課題が多く出ました。

- 桑田 孝志郎(くわた・こうしろう)
- [team][/team広島新庄]
- ポジション:投手
- タイプ:右投右打
- 身長/体重:178cm/71kg