近江の天才型ショート・土田 龍空。前編では自慢の守備力について迫っていたが、後編では打撃についても迫っていきたい。土田の野球人生を振り返ると、成長のきっかけになった人々が必ず登場しており、改めて土田は周りの人に恵まれた選手だと実感できる。
◆土田龍空(近江)「誰もが絶賛する遊撃守備はいかにして形付けられたのか?」【前編】
土田の打撃は父の先輩から教わった

春季大会での土田龍空(近江)
土田が1年からレギュラーを任されたのは飛び抜けた守備力だけではなく、打撃のレベルも1年生離れしていたから。1年夏の滋賀大会では打率.556を記録しているように、当てることには自信があると語る土田。守備では中学時代の先輩・荒木 相斗(比叡山・3年)の影響を受けたことは前編でも説明したが、打撃では小学校時代から教わっているコーチの影響が大きい。
「お父さんの高校の先輩がいて、今も教わっているんですけど、その教えをベースに打撃をしています」
そのコーチは近江高校出身で、多賀監督がコーチ時代の教え子だった。そのコーチから2点教わった。
「体を開かないこと、体が前に突っ込ませないこと。この2点を大事にしていきました。小学校2年生から教わったのですが、最初は難しかったのですが、だんだん理解することができました」

土田龍空(近江)
土田の打撃はボールを手元まで呼び込んで逆方向にも鋭い打球を打てるが、これもコーチの教えを実践したものだ。
「最後まで自分のポイントを呼び込んで、腕で打ち返す感じです。遅れてもいいので、自分のポイントに合わせるまでに、修正をしていきました」
1年夏は甲子園で活躍したもののの、1年秋は近畿大会初戦敗退。改めて打撃力が課題となった土田はチームの取り組みで、対外試合が終わってから12月から3月の対外試合開始まで金属バットを使わず、木製バットで打撃練習を重ね、芯で捉えて打球を飛ばすことを意識した。