確かな取り組みで上積みを見せた埼玉県ナンバーワン右腕・飯島一徹(東農大三)【前編】
身長181センチ、体重78キロの恵まれた体格から角度のあるストレートは最速145キロ。さらに落差の大きいツーシームを武器に注目を集める埼玉屈指の好投手・飯島一徹(東農大三)。
昨秋は準々決勝で山村学園を5対4で破ると、そのまま準優勝。今春は強豪・花咲徳栄と準々決勝で対戦し、5失点完投勝利。9回まで球速が衰えない躍動感溢れる投球に飯島の評価は日増しに上がっている。
今夏の埼玉を沸かせるであろう埼玉県ナンバーワン右腕の軌跡を振り返る。
野球人生の始まり
キャッチボールをする飯島一徹
飯島が野球を始めたのは小学校2年生から。当時の友人に誘われ、地元にあった埼玉ファインズに入団し野球人生の幕が開けた。
「野球をやる気はあったんですが、どこに入ればいいのかわからなかった自分に友達が声をかけてくれたので、そこで始めました」
「周りを見えるようになってから本格的にピッチャーをやりなさい」と当時の指導者の方針で、小学5年生までは外野やキャッチャー、そしてピッチャーを兼任。小学6年生からピッチャー1本に絞りだした。
当時からピッチャーに対して、「チームを勝たせるには一番大事なポジションなので、自分がチームを強くさせたい」という固い覚悟をもって投げていた飯島。しかしチームはなかなか勝つことができず、目立った結果を残すことができなかった。
その後、飯島は北本中学に進学。引き続きピッチャーをメインに、投げないときは外野を守っていた。そして中学3年生の時に、選抜チーム『埼玉スーパースターズ』に選出。春日部共栄の丸田輝や花咲徳栄の岡崎孝太らとともにプレーした。
「レベルの高い選手たちの中に入れたことは嬉しかったですが、その反面でやっているのか不安はありました。けど選ばれたことで、『高校野球はもっと上手い選手と対戦するので、そういう選手をどうやったら抑えられるのか』ということを考えました」
当時の経験は高校で活躍する上で貴重な経験だった。
埼玉スーパースターズでは全国3位の結果を残した飯島は東農大三に進学し、高校野球の世界に飛び込む。
「中学生の時に髙廣監督に、『是非うちに来て野球をやってくれ』と何度も言ってもらえました。その熱に惹かれたことと、1勝でも多くチームの勝利に貢献して上位進出させたい」と思い、飯島は東農大三の門を叩いた。
転機となったフォーム矯正と変化球習得
ブルペンに入った飯島一徹
そして埼玉の強豪校、花咲徳栄や浦和学院、さらには聖望学園や春日部共栄を倒すことを目標に練習に打ち込む。ただ、高校野球のレベルの高さを肌で感じる。
「精神的にも肉体的にも中学と高校で全然違うので、先輩たちの体格やプレーに驚いてばかりでした」
そんな飯島は1年生の春の県大会からベンチに入り公式戦のマウンドを経験するが、「甘いところに投げると打たれる」ことを痛感した。しかしチームに迷惑をかけないように抑えようと必死に右腕を振った。
当時の飯島のことを髙廣聖也監督は「当時ピッチングは素晴らしかったですが、フィールディングやクイックがまだまだだったので、外野も兼任させながら投げる以外も鍛えました」と語った。このことについて飯島本人も「硬式に変わって慣れなかったこともありますが、ずっと怒られていました」と話し、今年から増えた自主練の時間を使ってフィールディングを磨いている。
また北嶋智副部長も、「入学時から135キロ投げるくらいポテンシャルはあり、本格派右腕だと思いましたが、まだ体力がありませんでした」と振り返る。しかし着々と力をつけ、1年生の秋に練習試合の時に140キロをマーク。高い潜在能力に少しずつ体力が追い付いてきた。
そして2年生の夏、飯島には大きな転機が2つ訪れた。まずはカーブの習得だ。
「中学の時からカーブとスライダーは習得していましたが、監督から『曲がりが同じだ』と言われたんです」
そこで飯島は「自分は球速が武器の1つだと思うので、緩急をつけるためにカーブが必要だと思いました」
左:カーブの握り 右:スライダーの握り
では飯島はスライダーやカーブをどう投げているのか。ポイントはリリース時の人差し指の使い分けだ。
「スライダーは覚えるタイミングで、プロの選手はスライダーをどうやって投げるのか調べたらダルビッシュ有さんが人差し指を曲げて添える握りだったんです。個人的にダルビッシュ有さんのスライダーが好きなので、握りを真似してみたら自分に合っていたんです。なので、人差し指を曲げて添える握りでそこから押し込むようにリリースします。そのほうが切れているとバッターから評価してもらっているので、中学の時からずっと同じ投げ方です」
カーブは握りのポイントを変えた。
「前はスライダーと同じ握りで抜くように投げていましたが、今は同じ握りのまま人差し指だけ立てて、そこから抜くだけです」
こうして飯島は新たな武器を手にした。さらにこのタイミングで投球フォームに変化が訪れた。
「それまでは上半身と下半身が一緒に前に突っ込んでしまったのですが、しっかり間ができるというか下半身主導の投げ方が突然できるようになりました。股をはさむというか、下半身主導で動く感覚ができたんです。この感覚を逃さまいと思いましたね」
野球のスキルが上達する時、努力なしで突然できることはない。それは入学時から重心移動を良くする練習「変形」に取り組み続けたことが大きかった。
変化球、そして下半身主導の投球フォームを手に入れた飯島。だが夏は北埼玉の4回戦止まり。甲子園出場とはならなかった。そして秋、ついに最大の武器・ツーシームを手に入れる。
前編はここまで。後編では最大の武器・ツーシーム習得のプロセスや高校での実績を振り返ってもらいました。後編もお楽しみに!
【後編を読む】強靭な握力から生まれた伝家の宝刀・ツーシーム 攻めのピッチングで聖地へ 飯島一徹【後編】
文=編集部