目次

[1] 生まれて初めて死にたいと思った追い込み練習
[2] 妥協を許さず、悔いの残らない最後の夏に

 最強世代と呼ばれた大阪桐蔭の2番ライトとして春夏連覇に貢献した青地 斗舞。4月からは同志社大に進学し、レギュラー獲得を目指して練習に励んでいる。今回は名門校で過ごした濃密な3年間について語ってもらった。

 後編では春夏連覇のかかった最後の夏の地獄の追い込み、そして現在について語ってもらった。

前編はこちら!
大阪桐蔭最強世代の2番になるまでの軌跡 青地斗舞(同志社大)【前編】

生まれて初めて死にたいと思った追い込み練習



当時を振り返る青地斗舞

 史上初となる2度目の春夏連覇がかかっていたこともあり、大阪桐蔭への注目度はとてつもなく高かった。周囲からのプレッシャーもあったが、それ以上に選手たちを苦しめたのが、厳しい練習だ。「追い込み」と呼ばれる6月の強化期間は例年以上に選手たちの身体を追い込んだ。

 「いつもは4週間から5週間なんですけど、僕らの年は6週間やりました。とにかくウエイトトレーニングが凄くキツくて生まれて初めて練習中に死にたいと思いました。100㎏のバーベルを持ち上げてジャンプしたり、1分間ずっと縄を打ち続けるトレーニングをしていました。重いものを1回持ち上げるよりもその方が筋肉痛になりやすいんです。あの時期は毎日がしんどかったです」

 3年間でも一番厳しい練習を乗り越えて夏の北大阪大会に挑んだ。準決勝履正社戦では1点ビハインドで9回二死まで追い詰められたが、そこから4者連続四球で追いつくと、山田 健太(立教大)の適時打が決勝点となり、6対4で勝利。絶体絶命の展開にも、青地は勝てる自信があったという。

 「バント失敗でツーアウトになった時はベンチが沈みかけていたんですけど、西谷先生は動じていなくて、僕たちも塁に出ればいけると声かけをしていたので、その時は負ける気はしなかったです。試合形式の練習ではもっとキツい場面から勝つ練習をしてきたので、絶体絶命の場面でも『いつも通り』と声掛けをしていました。0対5を引っ繰り返す練習とか最終回に3点差を引っ繰り返す練習をしていましたね。逆転できなかったら自分たちで考えてペナルティーを課していました」

 日頃の練習から厳しい場面を想定していたからこそ、大会で追い詰められても逆転勝利を収めることができたのだ。夏の甲子園でも順調に勝利を積み重ねて春夏連覇を達成。ウイニングボールを掴んだ青地は決勝のゲームセットの瞬間をこう振り返ってくれた。

 「右バッターで柿木(蓮・日本ハム)の時は振り遅れが多いので、自分のところに飛んでくると準備していました。高いフライが飛んできたんですけど、その時はいつもより時間が長く感じました。『これで捕ったら優勝か』とまず初めに思って、その次に『みんなと野球ができなくなるのか』と思ったら色んなことが思い返してきて思ったより滞空時間が長く感じました。しんどかったけど、野球やっていて良かったなと思いました」

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