「00」背負い夢を追う 「100マイル」ドミニカン右腕 ジェフリー・へルナンデス (徳島インディゴソックス)
前期も佳境に入った15年目の四国アイランドリーグplus。その中で別格のスピードで存在感を示しているドミニカ人右腕がいる。4月20日、徳島インディゴソックスに入団したジェフリー・ヘルナンデス。常時150キロ以上のストレートと高速シンカーを駆使し、現在は守護神としてリーグトップタイの3セーブ(5月15日現在)をマークしている。
では、早々のNPB入りも大いに期待できる剛腕はここまでどのような球歴をたどってきたのだろうか?背番号「00」が日本・四国・徳島で追う夢が語られる。
投手転向7か月で開いた「MLBへの扉」
笑顔のジェフリー・へルナンデス (徳島インディゴソックス)
――まず、ジェフリー・ヘルナンデス選手が野球をはじめたきっかけから教えてください。
ジェフリー・ヘナンデス投手(以下、ヘルナンデス) 小さいころからみんなが靴下を丸めて作ったボールで遊んでいたような環境にいたので、自然に野球をするようになりました。日本でいう少年野球チームでもプレーはしていました。
―― 当時のポジションはどこですか?
ヘルナンデス ショートストップ。実は16歳くらいまではずっとショートストップをしていたんです。
―― ということは、投手を始めたのは16歳からなんですね!
ヘルナンデス そうです。自分は当時、打つことも得意だったんですがポテンシャルが高く肩も強かったので「投手の方が上へ行けるチャンスがある」と思って投手に転向したんです。そうしたら7か月でコロラド・ロッキーズと契約することができました。
―― 実際、2008年にコロラド・ロッキーズと契約した時はどんな気持ちでしたか?
ヘルナンデス 自分の家庭は裕福な方ではなかったので親からは常に「勉強しなさい」と言われてましたし、自分も野球は趣味で将来は公務員とかを考えていたんです。ただ、プロ野球選手になれたことで「これで家族に家を買ってあげられる」と思いましたし、すごく嬉しかったことを覚えています。
―― 2008年から4年間はルーキーリーグ、その後はハイAなどでプレーしたヘルナンデス投手。さらにテキサス・レンジャーズと契約した2016年にはAAAまで昇格しました。このころにはMLBのスプリング・キャンプにも参加された経験もあるのですか?
ヘルナンデス はい。スプリングキャンプではMLBのいい打者はストライクとボールの見極めがしっかりしているので、ストレートにしても変化球にしても自分のベストピッチをしなければいけないことを感じました。
―― 実は当時のヘルナンデス投手の映像を動画サイトで見たことがあります。当時のヘルナンデス投手を自分で分析するとどんな投手だったのですか?
ヘルナンデス それは21・22歳の時の映像ですね。当時は102マイル(164キロ)のストレートを待ち味にしていました。ストレートはナチュラルに動くのでそこも武器にしています。
―― ただ、MLBへの昇格はあと一歩で届きませんでした。
ヘルナンデス 確かにMLBへあと一歩に迫っていたんですが、2016年に盲腸炎を起こして……。病院に行ったら気絶して気付いたらベットの上。あとで聞いたら生死をさまよっていたらしいです。それで3か月離脱したことが響いてMLBには行けず、昨年・一昨年はアメリカのチームに所属しながらメキシカンリーグやベネズエラ・ニカラグアのリーグで投げていました。
[page_break: 日本・四国の地から「NPBでのクローザーへ」]日本・四国の地から「NPBでのクローザーへ」
ジェフリー・へルナンデス (徳島インディゴソックス)
―― その中で日本行きの選択肢が出てきたわけですね。
ヘルナンデス アメリカのチームからのオファーもあったんですが、カルロス・カスティーヨ(2002年・福岡ダイエーホークス所属)を通じ養父 鐵さん(徳島インディゴソックス国際担当・四国アイランドリーグplus北米遠征代表監督)から話を頂いて「日本のNPBを目指してプレーする方が自分にとってチャンスがある」と思い、日本に行くことにしたんです。
―― そして今、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスでプレーしているわけですが、日本の野球はいかがですか?
ヘルナンデス 来日前にも日本の話は何となくは聞いていたんですが、実際にはマウンドやボールは全然違いました。そして日本人選手はコンタクトが上手い。NPBの試合を見ても野球知識の豊富さを感じます。実戦からも4~5か月離れていましたし最初は難しかったです。
ただ、牧野(塁)監督からもアドバイスをもらいながら、その対策は練ってきました。打者は最初、ストレートに張ってきますからスライダー、カーブといった変化球でストライクを意識して取れるようにしましたし、以前から自信のあったシンカーを使っていきました。さらにそういった変化球を見せ球にすることによって強いストレートをより活かしたいと思っています。
自分は打者を研究することが好きなんですが、低めにストライクを取り、相手打者の反応を見ながら組み立てをする部分では日本に来て成長できたと思います。
―― 北米や中南米とは全く違った環境ですが、日本での生活はどうですか?
ヘルナンデス すごくいいです。肉はあまり食べない主義なんですが、牛丼はうまいし、ファンもすごくサインを求めたりコミュニケーションを取ってくれる。両親と話をしていても「あとは日本語を覚えるだけだね」と言われています。日本語は「アリガト」「ガンパリマス」「オツカレ」くらいは覚えました。
―― では今後の意気込みを締めは日本語で、お願いします。
ヘルナンデス 一番得意なのはクローザーですが、自分はマウンドで任されたところをしっかり投げるのが仕事。もしNPBに行ってもチームのために自分の役目を果たしたいです。「ジェフリーデス、ガンバリマス!」
―― グラシアス!(スペイン語で「ありがとうございました」)
ヘルナンデス グラシアス!
最後は雑談の中で「僕はどの球団に行っても年俸の15%はドミニカ共和国の貧しい子どもたちのために寄付している。NPBに行ってもそれは続けたい」と話してくれたジェフリー・ヘルナンデス投手。心優しきドミニカンは自らの夢とドミニカ共和国で待つ家族、子供たちの夢を叶えるため、今日も右腕を強く振る。
文=寺下 友徳