驕ることなく地道に積み上げた鮮烈な甲子園デビューまでのルーツ 中森俊介(明石商)【前編】
今春のセンバツで初の4強入りを果たした、明石商の2年生エースとして総合力の高い、センスあふれる投球を披露した中森俊介。全4試合に登板し、計31回3分の2を投げ、3完投、30奪三振を記録。全国の舞台でプロのスカウト陣の評価を大きく上げた。センバツ大会直前、明石商を訪問した際に中森投手に話を聞く機会があった。今回はその時のインタビューをお届けしたい。
成長著しい147キロ右腕は学業も優秀
中森俊介(明石商)
「中森はコツコツとやれる男でねぇ。1年春から公式戦で投げてますけど、天狗になって驕ることもないですし、高校野球のもっと上を見据えて日々、野球と向き合っている。意識が高いからオフシーズンの体重の増え方もすごいです」
明石商の2年生エース・中森俊介投手に関するコメントを狭間善徳監督にお願いしたところ、そんな絶賛コメントが次々と返ってきた。
「勉強もよくできるんですよ。中学時代は5教科で490点近くとってのオール5。東大も狙えるかもしれんって言われてたんですから」
すべての練習メニューを終え、筆者のもとにやってきたエースに指揮官の言葉をそのまま伝えたところ「いやいや、そんなんぜんぜんですよもう…」と恐縮した面持ちで手を横に振るばかり。
「小、中学時代、学習塾には通っていたのですか?」
「塾は行ってなかったですね、ぼくは」
「それでオール5…⁉」
「やっていたことといえば、授業をしっかり聞くことくらいですね。今も授業だけはしっかり聞くようにしています」
ピッチング練習を行う中森俊介(明石商)
サラリとそう答えた中森。16歳とは思えない、落ち着いた佇まいが印象的だ。
昨夏の甲子園出場時に78キロだった体重は一冬を超え、現在83キロ。身長は1センチ伸び、182センチになった。
「高校に入ってから1日に6合くらい米を食べてますね。体重を増やすことを優先にしたかったので寝る前にカップラーメンなどもよく食べます。チームで目標に掲げている体重が『身長マイナス98』なので。いい感じになってきました」
体重の増加に比例するかのように、球速も順調にアップ。入学時に141キロだったスピードは、昨夏の甲子園大会で145キロをマーク。今春のセンバツでは自己新となる147キロを計測した。
中森は「一番大切なのはコントロールですけど」と前置きした後、真っすぐな目で言った。
「夏までに150キロ、投げてみたいですね」
[page_break:逸材右腕が歩んだ小、中学時代]逸材右腕が歩んだ小、中学時代
中森俊介(明石商)
兵庫県篠山市出身の中森。幼稚園の時に3歳上の兄とキャッチボールを開始。地元の軟式少年野球チーム「多紀野球少年団」に入団したのは小2の時だった。
「右利きですが、打つ方は最初から左でした。4年生までは内野手で主にサード、ショートを守ってましたが、5年生の時にキャッチャーに転向して。ダブルヘッダーの日は2試合目にピッチャーを務めるパターンが多かったです」
本格的な投手人生は小6の時に始まった。
「エースの子が肩の故障で投げられなくなったことで、ぼくが投げるしかない状況になってしまって。最初はコントロールも全然ダメで試合も全く作れなかったんですけど、登板機会を重ねるごとに安定した投球ができるようになって。気がつけば1番手投手になっていました」
元々、地肩は強く、スピードは同学年の中で明らかに速い部類だった。
「小6の時、バッティングセンターで測った時に125キロが出たことはよく覚えてます」
ティーバッティングを行う中森俊介(明石商)
篠山東中では軟式野球部に所属し、下級生時代は三塁手兼投手。最上級生になるとエースを任され、中2の冬の練習試合で138キロを記録した。中森は「明石商の練習を初めて見学しにいったのがちょうどこの時期でした」と述懐した。
「部員の体の大きさ、キビキビした行動…。初めて高校野球の世界を間近でたくさんの衝撃を受けたんです。『ここで高校野球がしたい』と思い、希望進路先を明石商に決めました」
中3の夏に野球部を引退すると7月の最終週から硬式クラブの三田ボーイズに入団。残りの中学野球生活を過ごした。
「軟式球でしかプレーしたことがなかったので、硬式球に少しでも慣れた状態で高校に行きたかったんです。中3の夏の時点で68キロしかなく、高校野球のことを考えるとかなり細かったので、体重を増やすためにものすごく食べましたね。中3の夏から高校入学までに12キロ増えました。高校に入ったら練習がハードであっという間に77キロくらいまで落ちちゃいましたけど」
中森は少し懐かしそうな面持ちでそう言い、笑った。
文=服部 健太郎