地元の公立校で強豪私学を自分の手で倒したい!岩本大地(石岡一)【前編】
21世紀枠の代表校として第91回選抜高校野球大会に初出場を決めた石岡一。その原動力は、やはりエースの岩本大地君である。
「地元の公立校に進んで強豪私学を自分の手で倒したい」
そんな思いで選んだ石岡一。そして、夢の[stadium]甲子園[/stadium]出場を果たした。その岩本君の思いを聞いてみた。
県南選抜メンバーになり自信がついた中学時代
多くの声援を受けていることを日々実感している岩本大地(石岡一)
父親の影響で一緒にキャッチボールをしていたというところから始まった野球だった。本格的になっていったのは小学校2年の時に地元の小幡スポーツ少年団でチームに所属したことからだった。当初は主として遊撃手や三塁手など内野手としてやっていたという。
「内野手は、内野手で楽しいと思った」
始めた当初は特に投手にこだわっていたというワケではなかった。
そんな岩本君が、「投手としてやっていこう」ということを正式に意識したのは八郷中学2年の時だった。チーム事情もあって投手をすることになったのだが、マウンドに立って投げてみると「三振を取ったり、相手打者を詰まらせて抑えたりしたのが楽しい」ということを感じ始めていた。
そして、いつしかその楽しさが快感になって、すっかり投手にハマっていた。楽しいと思ったから、力も伸びていった。
3年の時には、軟式の県南選抜チームのメンバーにも選ばれたことで自信も芽生えてきていた。県内の中学生としても有力投手の一人に挙げられるようにもなった。こうして、自分で「やれるかな」という意識はさらに膨らんでいった。
[page_break:地元で“甲子園”を目指したい]地元で“甲子園”を目指したい!
1年生の春・関東大会の健大高崎戦に先発した岩本大地(石岡一)
「甲子園で投げられるような投手になれればいいなぁ」
高校進学を目指すころにはそんな思いも出てきていた。
中学野球部の投手として、ある程度の実績を残していただけに、有望私学からもいくつが誘いはあった。しかし、本人としては当初から石岡一を志望していた。
「地元でもあるし、石岡一でやりたいという気持ちは強く持っていました。川井先生にも(中学3年の時に)会って、話をさせて戴いて、『一緒に甲子園を目指そう』と言われたことで意思が決まりました」
と言うように、石岡一に進学を決めた。石岡一が、春季県大会で関東大会進出を決めた試合を直に球場で観戦したことも、自身の意思決定に大きく影響をもたらしたようだ。
こうして石岡一に進学を果たした岩本君は、「ストレートには自信がある」という言葉通り、最速147キロを示すまでの速球投手に成長した。しかし、試合を経験していきながら「力でぐいぐいといくだけでは抑えきれない」ということも認識し始めた。
こうして、新チームで不動のエースとなった時からは「ストレートに頼り過ぎないピッチング」を目標としていった。そのためには、スライダーを磨いていくことを自分のテーマとしていった。
前編はここまで。後編では投球フォームのこだわりについてを伺いました。後編もお楽しみに!
文=手束 仁