4番エースに相応しい選手になるために 村田賢一(春日部共栄)【前編】
22年ぶりの選抜出場を果たした春日部共栄。その原動力となったのがエースで4番の村田賢一だろう。
最速146キロのストレートとスライダー、カーブ、スプリットと多彩な変化球をコントロールよく投げ分ける投球術を武器に、公式戦9試合中、8試合は完投勝利。打者としても2本塁打、打率.405の好成績を残した村田賢一はどんなプロセスを経て、大黒柱と呼ばれる存在となったのか。
先輩の指導を受け、高校2年春には140キロ到達
ブルペンでピッチングをする村田賢一投手
村田の野球人生は小学校2年生時(浦安日の出南小)、浦安ニューラッキーズ(軟式)に入団し、野球人生をスタート。浦安日の出中学校では強豪・東京城南ボーイズに入団するが、そこでは三塁手・一塁手が中心。本格的に投手を始めたのは中学2年生からだった。以降、エースになることはなく、2番手・3番手という立ち位置だった。
だが村田には大きな武器があった。当時からある程度、狙い通り投げられる制球力があったのだ。これについて村田は、三塁手をやっていた経験が生きていると語る。
「三塁手でプレーする上で心がけていたのは、一塁手の胸を投げることを意識して、スローイングすることです。投げ方は投手と比べてコンパクト。だから今でもその名残が残っていますし、テークバックを見ると、野手投げっぽくて変です。それが僕にとっては一番投げやすい投げ方でした」
中学時代の最速は127キロと突出したものではない。だが、当時から恵まれた体格を誇り、コントロールに優れた村田の将来性は高校関係者からは大きな魅力で、春日部共栄の指導者からも注目された。その後、春日部共栄に足を運び、活気ある雰囲気を持った練習に惹かれ、進学を決断する。
村田賢一投手(春日部共栄)
入学直後はハードな練習についていくことで精一杯。だが次第に体力も身に付くと、実力も身に付き、1年秋には135キロまで到達。ベンチ入りを果たし、県大会でも登板を果たした。
レベルアップには、好投手が多かった先輩投手から練習法を学んだ。特に学んだのはエースの内藤竜也だった。
「内藤さんからトレーニング法を教わりました。自分は回転数が高いストレートを投げたかったので、そのためにリストが強くなる練習法を学んだりしていきました」
その甲斐もあって、2年に上がる直前、3月の練習試合では最速142キロを計測。夏へ期待を持たせる内容を示した。
まさかだった「4番エース宣告」。そして秋の県大会は全試合完投勝利
ピッチングを行う村田賢一投手
しかしここで思わぬアクシデントが。夏の大会前に二度の腰の故障を患い、ベンチ外が決まった。しかしここで本多監督から「秋から4番エース」と伝えられた。当然、村田は驚いた。
「正直、本当かよと思いました。エースはもちろん狙っていました。ただ4番打者というほど本塁打は打ったことないですし、練習でもオーバーフェンスを越える打球はあまり多く打ったことがありません」
本人は否定していたが、指導者の誰もが村田の素質、姿勢を高く買っていた。植竹部長がこう証言する。
「非凡な素質があり、さらに体格も良く、努力ができる姿勢を持った素晴らしい選手です。やはり村田に託す思いは強かったです」
首脳陣や選手の期待に応えたい村田は、故障しないために、通院していた先生からアドアイスをもらい、体幹やインナーマッスルを鍛え、故障防止のためのトレーニングに取り組んだ。すると腰も治り、ピッチング練習にも精が出る。
村田が投球練習で心がけたことは「同じコースに投げ続ける」ことだ。
「僕は制球力を高めるため、内角・外角・低めと同じところを何球も投げ続けています。精度の高いボールを狙い通りに投げるには、10球、20球も投げ続けることだと思います」
また正捕手の石崎聖太郎は、村田のピッチングへのこだわりをこう証言する。
「他の投手と比べて違うのは、実戦をしっかりと想定して投げていることだと思います。内外角を投げ分けたり、緩急を使い、間合いを変えるなど。牽制の練習も入れますし、ほかの投手と比べても実戦を意識して投げていると思います」
ティーバッティングをこなす村田賢一投手
また、打撃で勝負強さを発揮するために意識していることとは。
「僕の場合、常に打つことは考えず、チャンスの時にはしっかりと打てるよう心がけました。そう考えると気持ちとしては楽になりました」
自分の打撃をするために最も大事にしていることは、タイミングを合わせること。そのために構えから意識する。投手に対して両足を平行に揃えたスクエアスタンスで構え、力まずに投手に向かっていくことを意識している。
「自分の力を最大限に発揮するためにタイミングはとても重要にしていて、これはピッチングも同じで僕は間合いを大事にしています」
こうして4番エースとして活躍するために着々と準備した村田だが、秋の地区大会直前に肩を怪我してしまった。ここで本多監督からかけられた言葉が「ガラスのエースになるな」。村田自身、「大事な時期に故障して昨年は3分の2も投げることができなかった。そう言われても仕方ない」と受け止め、懸命に治療を続け、県大会の3日前に完治し、なんとか県大会は間に合ったのであった。
県大会では力投を見せた。特に準々決勝の上尾戦は、1年秋に敗れていた相手だけに燃えた。粘り強い投球で3失点完投勝利。
そして関東大会出場がかかった準決勝では、延長12回まで無失点に抑える好投でサヨナラ勝ちに導き、決勝戦でも完投勝利を挙げた。県大会5試合すべて完投勝利の結果に村田は「本当に自信になりましたし、エースとして投げる大会はこんなに楽しいのかと。先発すると、6回ぐらいがきついですが、それを乗り越えると燃えてきて楽しくなります」と喜びを語る。
こうして村田は意気揚々と関東大会に乗り込んだのだ。
前編はここまで。後編では関東大会について村田投手に振り返ってもらいました。さらに村田投手が目指す理想の選手や来る選抜への意気込みも伺いました。後編もお楽しみに!
文=河嶋 宗一