無力を悟り試行錯誤に明け暮れた一年間 下村海翔(九州国際大付)
2年春からエースを任せられ、九州国際大付の春の九州大会優勝にも大きく貢献した下村海翔。安定感と躍動感が共存した美しいフォームからは、最速145キロをマークし、今秋のドラフト候補にも名前が挙がっている選手だ。
今回はそんな下村に独占インタビューを行い、高校入学から現在までを振り返って頂いた。越境入学の理由や高校入学後の球速アップの秘密、そして苦杯を味わった昨年の秋季九州地区大会について、プロ注目右腕が心境を語った。
自ら志願して名門・九州国際大付の門を叩く
下村海翔(九州国際大付)
甲子園の所在地でもある、兵庫県西宮市出身の下村。中学時代は、かつて田中将大投手(ニューヨーク・ヤンキース)も所属していた宝塚ボーイズで投手として活躍し、3年時にはジャイアンツカップにも出場した。多くの高校から勧誘を受けた中で九州国際大付を選択した下村だったが、実は九州国際大付からは直接声を掛けられた訳ではなかった。
「中学時代の監督から薦められたのと、1つ上の先輩にも九州国際大付に進んだ方がいらっしゃいました。その先輩からチームの話を聞き、その後実際にグランドへ見学にも行って『このチームでやりたい』と思いました。
興味があることを伝えると、『来てもいいよ』と言っていただき入部することができました」
こうして福岡の名門・九州国際大付野球部へと入部を決めた下村だったが、いざ高校野球の舞台に立つと投手として力不足を痛感する場面が多くなる。入学当時の球速は最速で135キロ。変化球も現在ほどの切れはなく、試合では打ち込まれることが多くあったのだ。
下村は、現時点では高校野球のレベルには達していないことを悟り、そこから投球フォームの改善を試みるようになった。
最速145キロを誇る下村海翔(九州国際大付)
まず下村が改善を試みたのが、上体が突っ込む悪癖だ。
「監督にも指導していただきながら、軸足に体重を残すことを強く意識してピッチングをしました。上体が突っ込まないようになってからは、球速も上がりましたし、変化球の切れも上がりました」
また、楠城徹監督からの指導を受ける中で、コントロールに対する意識も変わっていった。これまではコントロールに対する意識はあまり高くなかったと話す下村だったが、コースへの投げ分けに加えて、高さの投げ分けも意識して取り組むようになった。
「監督の指導のお陰で球速も上がり、変化球の精度も上がってきました。監督の指導には本当に感謝してます」
こうして2年春からは、下村は九州国際大付のエースとしてマウンドに立つようになった。春季福岡県大会から下村は快投を見せ、九州地区大会の1回戦では東明館を相手に11奪三振完投勝利をマークして大ブレイク。無力を悟り、試行錯誤に明け暮れた1年間が、結果として実を結んだ大会となった。
下村には最後を締める投手であって欲しい
遠投でも力強いボールを投げ込む下村海翔(九州国際大付)
この勢いで、一気に甲子園まで駆け上がりたい下村であったが、ここで再び試練が訪れる。
2年ぶりの夏の甲子園を目指した第100回選手権北福岡大会。九州国際大付は2回戦で若松と対戦し、この試合で痛恨の逆転負けを喫したのだ。
九州国際大付は4点差のリードで最終回を迎えるが、若松の驚異の粘りにエースの下村を慌てて投入。逃げ切りたい場面だったが、下村も若松の勢いを止めることが出来ずに逆転を許し、4対5でまさかの敗戦。思ってもみない幕切れに、下村は自身の未熟さを思い知った。
「最終回で4点のリードがあり、油断した部分があったと感じています。27個のアウトを取って、試合が終了するまで集中を切らさないように取り組むようになりました」
試練はそれだけでは終わらなかった。背水の陣で迎えた秋季九州地区大会でも、下村は苦杯を味わう。1回戦の日章学園戦では、序盤に集中打を浴びて2回までに6失点。打線の追い上げも及ばず、九州国際大付はここでも有力と目される中で甲子園を逃す結果となった。
下村海翔(九州国際大付)
この二つの敗戦から、楠城監督は下村の課題に精神的な弱さを挙げる。
「球自体は高校でもトップのものを持っているので、あとは気持ち的なところだけです。ゲームを分ける1球がいつ来るかわからないその中で、120~150球を投げ切る強い気持ちで臨んで欲しいと考えてます。下村には、最後を締める投手であって欲しいです」
もちろん、下村自身も精神的な課題は自覚している。課題と向き合い、覚悟を決めて日々を過ごすことを下村は誓う。
「まだ自分たちは神様が甲子園には行かせてくれなかったのかなと思います。自分たちはもう夏しかありません。夏に向けて、一日一日大切に取り組むだけです」
甲子園に出るために兵庫から福岡の地に渡ったが、5回のチャンスのうち残りは1回のみとなった。夏の福岡の頂点、そして地元・西宮への凱旋を目指し、九州屈指の右腕は熱い冬を過ごしている。
文=栗崎 祐太朗