徳島の城島健司を目指して!チームを勝たせられる捕手を目指す!川端晃希 vol.3
今年から徳島インディゴソックスでプレーする大型捕手・川端晃希選手。大阪桐蔭から同志社大学、そしてJFE東日本と進んだ川端選手の野球人生に迫ったインタビューのvol.1では、野球を始めたきっかけから大阪桐蔭入学までを語ってもらった。vol.2では大阪桐蔭時代について語ってもらった。そして最終回は、同志社大学進学のキッカケと、今春からプレーする徳島インディゴソックスでの意気込みに迫った。
大阪桐蔭から徳島へ!期待の大型ルーキー・川端晃希が痛感した超名門の厳しさ vol.1
ハイレベルの環境が磨き上げた技術!川端晃希が大阪桐蔭で吸収した理論 vol.2
選手想いの監督の一声が背中を押した
同志社大時代の川端晃希選手
常勝軍団・大阪桐蔭を率いる西谷浩一監督について、「今となっては凄い監督だった」と川端晃希選手は語るが、では普段の西谷監督はどうなのか聞くと、
「当時は選手との距離は近かったです。特に会話を大事にされる方なので、選手の調子が悪いときには声をかけてくれましたね。キャッチャーをやっていたこともあったのでピッチャーの調子も逐一話をさせていただきました。」
その西谷監督の後押しで川端選手は同志社大に進学した。
「西谷先生は進路も大学の状況を調べて考えてくださっていて、自分の時もちょうど同志社大から捕手がいなくなる時期で、西谷先生からも行って来いと言われましたのでタイミングもよかったです。」
ベストなタイミングの入学だった。2011年まで小林誠司(現・巨人)選手が不動の正捕手として活躍していた同志社大。小林選手が卒業のタイミングで、同志社大学に進学した川端選手はその後、リーグを代表する正捕手として活躍。大学3年生の春にベストナイン受賞、そして4年生では主将を務める。
さらには日本代表の選考合宿に参加。多くの経験を積み、社会人ではJFE東日本に進む。1年目からHondaの補強選手として都市対抗に出場するなど、経験を積み続けた。
信頼される捕手となってNPBへ!
徳島インディゴソックスでの活躍を誓う川端晃希選手
しかし2018年JFE東日本から解雇となり、野球をする場所がなくなった。大阪桐蔭入学時の挫折、そして3年生の決勝戦での敗北、日本代表落選に続き、4度目の躓きだった。
その時のことを聞くと、
「大学日本代表の選考合宿から面識があった谷田成吾に、独立リーグについて聞いてみました。そうしたら『厳しいけど、野球はしっかりやり切れる。試合数も多いしやりがいはある』と言っていて自分もあと何年できるかわからないと思い、出し切りたいという思いから独立リーグを選択の一つに入れました。」
川端選手は独立リーグを選択肢に入れつつ、その後も企業チームでプレーすることを優先で探していたが、自分の考えとマッチする企業がなかなか無かった。しかし徳島の関係者と話をして、徳島なら野球をやり切れると思いが固まり、入団を決意した。
前途多難な野球人生を歩んできた川端選手。この春から徳島でプレーし、NPBへ挑戦する。最後に意気込みを伺うと、
「強いチームにはいい捕手がいるので、自分もそのように言ってもらえるような、周りから信頼の得られる捕手になっていきたいと思います。そのためにもまずは持ち味の打撃でアピールにしたいですが、何より捕手としてチームを勝たせることができればと思います。」
実は川端にとってはベストタイミングの入団。徳島インディゴソックスは長年、正捕手として活躍していた垂井佑樹が現役引退。即戦力捕手を獲得したい徳島と、NPBに行きたい川端の思いが合致した。
NPB入りへ向けて、川端は同世代の社会人捕手と争う形となる。そこで個人成績としては「4割10本塁打を目標に強打の捕手としてアピールできれば」と語る。
そんな川端選手の理想の捕手像について聞くと、「城島健司さんや古田敦也さんのように強くて勝てる、チームを勝たせながらタイトルをとる捕手が理想です」と話す。
ここまで川端選手の原動力となっているのは「負けず嫌い」だ。一見、エリート街道を歩んでいるように見える川端選手だが、大事なところでこけてしまった悔いがある。
野球人生をかけて飛び込んだ独立リーグ。秋には独立リーグ史上、最高のキャッチャーと呼ばれる存在となれるのか。一挙手一投足が見逃せない。
文=編集部