兵庫ナンバーワン右腕・藤本竜輝(社)を支える「笑顔のマウンドさばき」【前編】
兵庫の公立の雄、社の投手陣をけん引する藤本竜輝。昨秋は自己最速スピードを2キロ更新する147キロをマーク。チームの県4強入りに大いに貢献した。2019年はいよいよ高校ラストイヤー。伸びしろがふんだんに残る逸材右腕に話を聞くべく、兵庫県加東市に位置する野球部グラウンドを訪れた。
確かな成長の跡を残した2018年秋
笑顔を見せる藤本竜輝(社)
「こんにちは。よろしくお願いします!」
練習用ユニフォームの上にウィンドブレーカーをまとい、気持ちのいい挨拶とともにバックネット裏の一室に登場した藤本。人懐っこい笑顔が印象的な17歳だ。
昨秋の兵庫大会では、小野、津名、関西学院、市立尼崎を退け、4強入りを果たした社。準決勝で明石商に敗れた後に臨んだ報徳学園との3位決定戦では延長13回の死闘の末、惜敗。あと一歩の所で近畿大会出場を逃した。
エースは、表情に悔しさを滲ませつつ、初めて背番号1を背負った昨秋の戦いを振り返った。
「準決勝の明石商戦と三位決定戦の報徳学園戦は緊張と焦りでバタバタしてしまって…。自信のあるフィールディングでもミスを重ねてしまい、自分から崩れた形になってしまった。力むクセがある、自分の悪い部分が出てしまいました」
目標としていたセンバツ出場に導くことはできなかったが、成長の跡は残した。
地区大会からフル回転した影響もあり、本来の調子とは程遠かった3回戦の関西学院戦では11安打、6失点を喫する一方で15三振を奪っての完投勝利。試合後半から変化球主体に切り替えるクレバーさと粘り強い投球は、投手としての進化を感じさせた。
藤本は「夏から練習してきたチェンジアップを、初めて試合で使ったのが関西学院戦でした」と語った。
「7回からチェンジアップを使い始めたのですが、明らかにバッターが戸惑っている印象で。万全の調子とは程遠く、ストレートが走らない中でなんとか粘って抑えられたのは間違いなくチェンジアップのおかげ。試合で使える目途が立ったことは大きな自信になりました」
チェンジアップ以外の変化球の持ち球はカーブ、スライダー。現在はツーシームとフォークを習得中だ。
「練習ではかなり投げられるようになってきました。春には試合で使えるようにしたいです」
好きな言葉は「笑顔」と藤本。その理由もきちんと添えてくれた。
「中学の頃からイライラした感情が表に出てしまうタイプだったんです。バックがエラーしてしまったり、自分の調子が悪かったりするとすぐに顔にイライラが出てしまって。周りに気を遣わせてしまうようなピッチャーだった。これじゃいけないと思いつつ、ポーカーフェイスを作るのはどうも難しくて。それならいっそ笑っちゃえと。笑顔を大切にしようじゃないかと」
山本巧監督は「入学当時に比べ、マウンドさばきは格段によくなった」と証言した。
「一年生の時はすぐにマウンドでカリカリきてましたが、どんどんマウンドでの立ち振る舞いがよくなっていった。技術面でもメンタル面でも『力んで』野球をやってきた選手でしたが、力みとの付き合い方がかなりうまくなった。勝てる投手としての土台が備わってきたと思います」
小5で歩み始めた投手人生
ピッチングを行う藤本竜輝(社)
藤本は兵庫県加東市出身。兄妹は3歳上の姉と2歳下の妹がいる。
小3の時に仲の良い友人に誘われ、地元の軟式少年野球チーム「社ベアーズ」に入団。
小4までのポジションはセンター、ショート。上級生に混じり、投手を務めるようになったのは小5の時だ。
「肩は強い方でした。小6の時点で遠投は70メートルくらい。真っすぐには自信があったんですけど、コントロールが不安定で、フォアボールはけっこう多いタイプでした。調子がいい時は勝ち、悪かったら負ける。そんなピッチャーでした」
兵庫教育大中時代は軟式野球部に所属。「あまり指導者に『こうしろ、ああしろ』と言われる野球部ではなく、自分自身で考えながら練習をする習慣が培われる環境でした」と藤本。
「下級生時代からサード、センターで試合には出させてもらっていました。ごくたまにピッチャーもやってましたね」
中学時代からの憧れは楽天・則本昂大。奪三振を量産する投げっぷりのいい投球に魅せられた。
中2の春に126キロを記録し、中2の夏からエース。小学生時代に安定感を欠いた制球力は中学時代に大幅に改善された。
「練習を重ねる中で、リリースポイントが定まるようになっていって。どこで離せばどこにいくのか、という感覚が少しずつわかるようになっていきました」
ストレートの最速スピードは中3の夏に130キロ台前半を記録。
地区大会で4強入りを果たし、部活動の中学野球を終えた後は、硬式球での練習がおこなえる組織に所属し、高校野球に向けての準備を重ねた。
「中1の頃から地元兵庫の社で高校野球をすることに憧れていました」と語った藤本。
「公立で体育科があって甲子園も目指せる。山本巧監督の指導も素晴らしいという評判も聞こえてきました」。
2016年4月、念願叶い、社高校の体育科に入学。意気揚々と高校野球人生をスタートさせた。
文=服部 健太郎