経験豊富な攻守の要・荻野魁也(岩倉)のルーツを探る【前編】
1年時から攻守の要となる4番・キャッチャーのポジションを任されている岩倉(東京)の荻野魁也選手(2年)。昨秋には新チーム結成と共に主将も務めることとなり、東京大会ではチームのベスト8進出に貢献した。そんな中心選手として活躍している荻野選手に、これまでの成長の軌跡を伺ってきた。
「練習試合と夏の大会では違う」1年生で夏の怖さを痛感
荻野魁也(岩倉)
小学校2年から東京日野リトルで野球を始めた荻野選手。捕手にコンバートされたのは松が谷ジャガーズに移った小5からで「キャッチャーはやりがいを感じる好きなポジション。サインを出して、自分が投げさせたいボールと、ピッチャーが投げたいボールが一致した時はうれしい」と話す。
その後、中学時代は町田シニアでプレーし、高校は「甲子園で優勝したことがあることくらいしか知らなかった」が、周囲の勧めもあって岩倉に進学した。
入部直後は高校生の体の大きさとスピードの違いに驚いたというが、「元々、速球は苦手じゃなかった」と練習をこなしていくなかで頭角を現すことに。
「考えるよりも、とにかく強く振ることだけを心掛けたら、中学の時よりもボールが飛んだし打率も上がった」と、中学3年時は主に7番を打っていたにも関わらず打撃が急激に伸び、7月の夏の東東京大会が始まる頃には背番号2を与えられ打順も4番の重責を担うこととなった。
しかし、チームは初戦敗退(2回戦)。荻野選手は1安打を放ったが、「初回のランナー二塁のチャンスを凡退でつぶしてしまい、守備面でも配球面で課題が残りました。そして、自分としては普段通りにプレーしていたつもりでしたが、試合後に周りから『緊張していたよ』と言われて、『やっぱり練習試合と夏の大会では違うんだな』と感じました」と悔いを残す結果となった。
雪辱を期すも2年夏に再び苦杯を苦汁を飲まされる
ミットを構える荻野魁也(岩倉)
屈辱を胸に、昨冬はトレーニングに励んだ。
「バットもかなり振ったのですが、バッティングには背筋が大事だと考えているので背中を中心に鍛えていました。デッドリフトという、背中を伸ばしたまま地面に置いたバーベルをヒザのあたりまで持ち上げるトレーニングでは300kgを3回上げていたのですが、1度やったら必ず3日は空けなければいけないくらいの大きな負荷を体にかけていました。それからベンチプレスは90kgまでしか上げられなかったので、今年は100kgを上げられるようにしたいです。筋トレは、やればやるほど体が変わってくるのが分かるので好きな練習なのですが、実際にひと冬で背中や胸筋などの上半身は大きくなったと思います」
また、食トレも行っている。
「たいへんですけれど、毎日、3杯はごはんを食べていて、高校入学時は70kgもなかった体重が今は80kgを超えるようになりました。今後は走ることが多い冬は体重をキープしておいて、春から夏にかけてさらに増やしていくつもりです」
しかし、昨夏の東東京大会も修徳に敗れ、初戦(2回戦)で涙をのむ結果に。「攻守ともに力のなさを感じました」という荻野選手は、大会後、守備力強化を図った。
「ワンバウンドの投球をストップする基本ができていませんでした。そこで、体でボールをとめにいくだけではダメなので、とにかく足を使ってボールの正面に入れるようにヘトヘトになるまで数をこなしたんです。自分の理想のキャッチャー像はピッチャーから信頼してもらえるキャッチャーということもあるので、安心して低めにボールを思い切り投げてもらえるように一生懸命、練習しましたね」
前編はここまで!後編では、主将になってからの葛藤と冬の課題について伺いました!
文=大平明