目次

[1]栽弘義との出会い、指導者としての第一歩
[2]ようやく高校野球の指導者となった上原

 前編では沖縄水産の上原忠監督がどうして監督を目指したのか、そして教員免許取得までの道のりを語ってもらった。後編では実際に教員として採用され、監督として実績を残すまでのプロセスに迫った。

 上原 忠(沖縄水産)という野球人の生き方【前編】~具体的な目標を立て行動した学生時代~

栽弘義との出会い、指導者としての第一歩



沖縄水産の練習風景

 ここからの上原 忠の野球人生が順風満帆かというと、まだそうでもない。

 「採用試験すぐとって、(教員として)中学と高校どこに行かされるか分かんなかったですよ。それで結果的に中学だったんですよ、その時は高校に行けず泣きそうになって」

 野球の神様は、上原に高校野球の指導者にいきなりさせずに中学を経験させることにした。

 しかし中学とはいえ、野球の指導者になったことで、栽 弘義監督と接点が生まれた。これを機に、上原は栽の野球を吸収していくことになる。上原いわく「親分・子分」の関係というが、この師弟関係は長く続いていくことになる。

 「僕は僕なりのやり方ですけども、ベースは裁先生のモノマネから始めて、それからアレンジしていくという感じでした」

 と、この時期に中学生を指導しながらも着実に指導者としての技術を磨いていった。実際に、上原は高校の指導者になるまでに中学を2校回り、その後全国優勝した沖縄尚学のキャプテン比嘉寿光はじめ、多くの有望選手を指導し高校に排出していった。

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