8回まで無安打の太田流星(札幌大谷)!変幻自在のピッチングのルーツに迫る
11月12日、明治神宮大会準決勝。札幌大谷の太田流星は8回まで無安打。第5回大会の金子隆さん(日大山形)以来のノーヒットノーランがかかっていた。しかし9回裏に安打を打たれ、大記録は途絶えたものの、初出場で決勝進出の原動力となった。全道大会でも4試合で防御率1.04と安定した数字を残して、初優勝に貢献し、欠かせない投手となった太田。そんな太田の投球の神髄、そしてその投球をもたらしたルーツに迫っていく。
高速テンポ投球で打者を幻惑
太田流星(札幌大谷)
投手には様々な打ち取り方がある。速球で圧倒する投手もいれば、魔球と呼べる変化球で三振を奪う投手もいれば、抜群の制球力を活かして出し入れのうまさで勝負する投手もいる。札幌大谷の太田流星は、テンポの速さとボールの出し入れで勝負する投手だ。
サイドスローとしてはやや低く、アンダースローとしてはやや腕を離す位置が高い。だが体を沈み込ませた時、左手の手のひらを上向きにして、体を旋回させながら腰を旋回させていく使い方は、アンダースローに分類していいだろう。
球速は120キロから125キロぐらいと速くない。しかしストレートのスピードとあまり変わらないシュートは手元で沈み、そして115キロぐらいのスライダー、カーブを使いながら出し入れをする。手元でボールが動くので、芯で捉えることは難しい投手だ。
また特徴的なのはテンポの速さだ。なんと捕手からボールを受け取ってから三秒ー四秒で投球モーションに入る。まさに打者の考える暇を与えない。
太田自身、それを考えている。
「もちろん打者に考える時間を与えたくないというのもありますし、早く投げてベンチに帰りたいんです(笑) また守備の時間を短くして、攻撃の時間を長くしたいんですよね」
太田の思惑は十分にはまった。筑陽学園の福岡大真は太田の投球についてこう評する。
「 まず見たことがないボールの軌道で、ストレート、シュートも打ちにくい。テンポが速くて、全く自分の間合いで打席に立てないですし、狙い球が絞れない。本当に素晴らしい投手でした」
そして4番江原佑哉は「本当にタイミングが取れない投手でしたね。全く考える時間がありませんでした」と太田攻略に手を焼いた。
[page_break中学2年から始まった技巧派右腕への道]中学2年から始まった技巧派右腕への道
無安打が途切れ、仲間に声をかけられる太田流星(札幌大谷)
筑陽学園の打者を手玉に取った太田。2回裏、太田はチームメイトに冗談で、「俺、ノーヒットノーランいけるかも」と話したが、だんだん冗談でなくなってきた。気づいたら無安打無失点のまま9回裏に突入した。大偉業まであと3人。
しかし、先頭の2番・福島悠介に右前安打を打たれて、大記録は途絶えた。初安打の後、マウンドに集まり、仲間にこう声をかけられた。
「世の中、そう甘くないなと(笑)」
その後、2失点をしたが、後続を抑え、完投勝利。初出場で、初の決勝進出の立役者となった。
勝利の瞬間、喜ぶ太田流星(札幌大谷)
試合後、大勢の報道陣に囲まれ、一躍、シンデレラボーイとなった太田。そんな太田の投手人生の本格的なスタートは、中学2年生からだ。札幌大谷中野球部では、投手志望だったが、なんと同級生には投手が20人もいた。最初は外野手だったが、中学2年の時、投手転向を直訴。最初は今より腕の位置が高いサイドスローだった。自分が生き残るために、牧田和久(パドレス)のピッチングを見て、テンポを速くしたり、投球術を学んだり、打ちにくさを求めて腕の位置を下げた。太田はここまで投手人生を振り返って、こう語る。
「外野手よりも投手のほうができると思って。もし決断しなければ、中学で野球が終わっていたかもしれません」
どうすれば打ち取れるのか、生き残れるのかを追求した結果、他の投手にはない絶対的な武器を身につけたのだ。
初の決勝戦へ。相手は横綱・星稜だ。太田は決勝戦へ向けての意気込みとしてこう語った。
「目の前の打者を1人ずつ打ち取っていきたいと思います」
魅惑の技巧派右腕は決勝戦でも躍動するのか。全道大会のような投打に渡る活躍を見せていきたい。
取材=河嶋 宗一