目次

[1]右ヒジの故障で気づいたエースの“役割”
[2]苦しみから「我に返った」最後の夏

 前編ではピッチャー一本で勝負することを決めた靏 仁石見智翠館)がチームのエースとして駆け上がるプロセスに迫った。後編の今回はそこに待ち構えていた大きな落とし穴と、最後の夏を中心に迫った。

右ヒジの故障で気づいたエースの“役割”

 秋の好結果もあり、当然春以降も有力校に挙げられていた石見智翠館。中軸を中心に打線の破壊力は十分。あとはエースがしっかり投げれば、というのが大方の見立てだったが、靏が右ヒジを故障。春の県大会では秋と同様にエースナンバーを背負ったものの、利き腕である右腕はギプスで固定。2番手投手の台頭もあり、チームは優勝したものの、当然未登板で県大会を終えた。

 2季連続出場となった中国大会では、ギプスを外し、試合途中からブルペンに入ったものの、登板なし。その後の山陰大会(島根、鳥取の春季県大会上位3校で開催される大会)では、新チーム発足後、初めてベンチを外れた。

 秋準優勝、春優勝。夏も優勝候補に挙げられた石見智翠館が、甲子園に行くための“ラストピース”は間違いなく靏だった。しかしながら、故障明けの右腕の球威は満足には戻らなかった。

 「ヒジの故障は完治しましたし、『ケガ明けに成長しているように』と故障中もできる練習やリハビリも手を抜かずに取り組みましたが、秋の大会ほどの球威には戻りませんでした」

 こう本人が語るように、気力は十分でも球がいかない状況が続いた。夏の登板も一試合(初戦・浜田商戦)に止まった。総力戦で戦ったチームは決勝まで駒を進めたものの、甲子園へはあと一歩届かなかった。夏の苦い経験を通して学んだことをこう語る。

 「思うように投げられないなかでも、『少しでも相手にプレッシャーをかけよう』とブルペンで投げました。今回のケガで強く感じたのは、ピッチャーはチームの“軸”であるということ。自分がもう少し投げることができたら、結果も違ってきたと思うので、チームメイトには申し訳なかったです」