覚悟の強さこそが最大の武器!靏仁(石見智翠館)のプロへの想い!【後編】
前編ではピッチャー一本で勝負することを決めた靏仁(石見智翠館)がチームのエースとして駆け上がるプロセスに迫った。後編の今回はそこに待ち構えていた大きな落とし穴と、最後の夏を中心に迫った。
右ヒジの故障で気づいたエースの“役割”
靏仁(石見智翠館)
秋の好結果もあり、当然春以降も有力校に挙げられていた石見智翠館。中軸を中心に打線の破壊力は十分。あとはエースがしっかり投げれば、というのが大方の見立てだったが、靏が右ヒジを故障。春の県大会では秋と同様にエースナンバーを背負ったものの、利き腕である右腕はギプスで固定。2番手投手の台頭もあり、チームは優勝したものの、当然未登板で県大会を終えた。
2季連続出場となった中国大会では、ギプスを外し、試合途中からブルペンに入ったものの、登板なし。その後の山陰大会(島根、鳥取の春季県大会上位3校で開催される大会)では、新チーム発足後、初めてベンチを外れた。
秋準優勝、春優勝。夏も優勝候補に挙げられた石見智翠館が、甲子園に行くための“ラストピース”は間違いなく靏だった。しかしながら、故障明けの右腕の球威は満足には戻らなかった。
「ヒジの故障は完治しましたし、『ケガ明けに成長しているように』と故障中もできる練習やリハビリも手を抜かずに取り組みましたが、秋の大会ほどの球威には戻りませんでした」
こう本人が語るように、気力は十分でも球がいかない状況が続いた。夏の登板も一試合(初戦・浜田商戦)に止まった。総力戦で戦ったチームは決勝まで駒を進めたものの、甲子園へはあと一歩届かなかった。夏の苦い経験を通して学んだことをこう語る。
「思うように投げられないなかでも、『少しでも相手にプレッシャーをかけよう』とブルペンで投げました。今回のケガで強く感じたのは、ピッチャーはチームの“軸”であるということ。自分がもう少し投げることができたら、結果も違ってきたと思うので、チームメイトには申し訳なかったです」
苦しみから「我に返った」最後の夏
プロへの決意を語った靏仁(石見智翠館)
完全燃焼とは言い難い形で終わりを迎えた靏の高校野球だったが、引退後も練習に戻るのは早かったという。
「『プロに進みたい』という思いはすごく強いので、決勝で負けた後も『練習に気が向かない』といったことは全くありませんでした。すぐ練習を再開して、ドラフト前の今まで気持ちを切らさずに追い込めています」
夏休みに帰省した際には、中間ボーイズの練習で濱田と再会。最後の夏を逃した悔しさを共有しながら、キャッチボール等の練習を行った。
「可能性がわずかでも待ちたい」と語るドラフト指名がなかった場合は、独立リーグに進むと決めている。その裏にも決意が込められている。
「大学に進んだほうがいいんじゃないか、という意見もたくさんいただきました。でも、自分としては家族に金銭面で苦労をかけてきた分、『野球で稼ぐ』環境に身を置きたいんです。お給料をもらいながら、覚悟を持って野球をやる、野球に集中できる環境でやりたい。プロ(NPB)に行けない場合、それに一番近い環境は独立リーグだと感じたので、決断しました」
来年から独立リーグに進む場合、タイムリミットは「2年」と決めている。「次のステージに繋げられるように、この期間で集中して取り組みたい」と語る姿は、高校生離れした落ち着きと“覚悟”が感じられた。
「負けん気」を武器に更なる高みへ!
靏の口から「後ろ向きな言葉」が発せられることは皆無と言ってもいい。中学時代のチームメイトである濱田が、2年夏の甲子園で全国デビューを果たした際には「濱田は遅かれ早かれ有名になるとは思っていました。でも、先を越されて悔しい」と、相手を称えつつも、負けん気を滲ませる。
練習試合で早稲田実と対戦した際に、野村大樹に逆方向への本塁打を浴びても、「力をつけて、今度は抑えてみせる」と再戦の機会を虎視眈々と伺う。
末光監督も「性格、『野球で勝負する!』という気概はいいものを持っている」と語る、逆境でも折れない芯の強さは全国区の逸材たちに引けを取らない。
文=井上幸太
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