目次

[1]一度は戦列を離れる
[2]武蔵ヒートベアーズで掴んだキッカケ
[3]野球が上手くなりたい、良い球を投げて抑えたい


 大学時代の故障により、一度は諦めたプロへの道。その後も様々な困難に見舞われながらも、独立リーグを経てNPB入りを目指す安河内 駿介投手(武蔵ヒートベアーズ)。その波乱万丈な野球人生を技術面と共に語ってもらった。

一度は戦列を離れる

 秀岳館高(熊本)時代は体の使い方を常に意識していたという安河内投手。「歩く時もダラダラと歩くのではなくて、真っすぐ足を強く踏み出して歩く。そうすると自然とお腹の内側に力が入って良い歩き方になり、前方で足を上手く捌ける感じになるんです。ダッシュをする時もスタートはかなり意識をしていました。自分は右投げなので必ず左足を前にしてやや横向きに構え、スタートと同時に右足を出して上体を半回転させ前方を向いて走る。この時の体のひねりや動きが投球動作に似ているので、とにかくキレを出してスタートをするように心掛けていました。」

 そのほかにも体の仕組みについて解説している書物を読むなど研究熱心で、自分でいろいろと考えながら工夫して練習していたこともあり、3年生の頃には「監督がなぜこの練習をさせるのか、その意図が分かるようになっていました」という。

 こうした努力もあり、高校時は体重61kgの細身ながら最速で145キロをマークするまでに至ったのだが甲子園出場は叶わず。プロ志望届も提出することなく大学へ進むこととなった。

 東京国際大へ進学し、2年秋にはエースとして東京新大学リーグで4勝を挙げた安河内投手だったが、右ヒジを故障。「右腕を少しでも上げようとすると痛みが走る状態でした」と1年以上の長期離脱を余儀なくされ、4年春を迎える頃には遂に戦列への復帰を断念。野球道具もすべて譲り渡してしまった。

 そして、就職活動も終え、野球を諦めていた安河内投手に救いの手を差し伸べたのは、ある整骨院だったという。「福井県に山内整骨院という有名な整骨院があって、ここで治療してもらった選手が毎年のようにプロになっているんです。自分も高校時代に股関節と肩のバランスを矯正してもらい、そのおかげもあって球速が一気に上がったのですが、そこの先生に『一度、顔を見せに来いよ』と言われて、訪問したんです。

 そして、治療をしてもらったら、それまで満足に動かすこともできなかった右腕が上がるようになったんです」。長年の痛みはまだ残ってはいたが、3日後には軽くボールを投げることもでき、気持ちは復帰へと傾いていった。「自分の就職活動は3日ほどであっさり終わっていたこともあって、『仕事に就くのは、もう少し後でもできる』と思ったんです。」

 こうして11月頃にトレーニングを再開。最初は「自宅の押入れに布団を立てて、そこに向かって投げていました」という状態から、ネットスロー、キャッチボールと徐々に投げる距離を伸ばしていき、卒業後は大学時代のマネージャーの伝手があった世田谷学園高で高校生の指導にあたりながら、体作りに励んだ。

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