目次

[1]スラッガー・山下を生んだ年末年始の素振り1000本
[2]高校レベルに対応できるよう打撃フォームを改造

 現役高校生最多の通算75本塁打を放っている山下 航汰健大高崎)。いかにしてここまでのスラッガーになったのか。それをひも解くと、中学時代~高校1年時の取り組みが実を結んでいることが分かった。そんな山下のストーリーを振り返っていこう。

スラッガー・山下を生んだ年末年始の素振り1000本


 山下が野球を始めたのは、小学校3年生から。当時から体つきもがっしりしていたこともあって捕手を任されており、野球を始めた時から左打ちだった。当時のチームは小所帯。あまり勝った記憶もない。山下によると年間7勝しかしていないチームだった。

 「小学校では野球をやる楽しさを十分に味わったので、逆に勝つ楽しさを知りたいと思って、強いチームに進もうと思いました。」

 柏原市在住だった山下は強いチームを求め、中学では羽曳野ボーイズへ入団を決めた。同期のメンバーには、太田 椋天理) 大石 晨慈近大附)とそうそうたるメンバーが揃っていた。

 「羽曳野ボーイズに入る選手は、本当にレベルが高くて、周辺地域のオールスターの集まりでした。同期のレベルの高さに驚かされました。」
 その中で、山下は持ち味の打撃を武器に頭角を現す。また、羽曳野ボーイズの教えもぴたりとはまった。

 「羽曳野ボーイズの指導方針は、まずトップを大きく取る。天理の太田を見ればわかると思います。その方法を教えられて、僕の場合、はまりました。あとはフルスイングすること。当てに行く打撃はいらんといわれました。」

 最上級生になると4番を任されるようになった山下だが、ここでスラッガーへ覚醒するきっかけとなる出来事があった。それは2年冬の正月休みのこと。山下は監督に呼ばれ、こう発破をかけられた。
 「ジャイアンツカップで優勝したければ、4番打者であるお前が、正月休みの間に1日1000本の素振りをしてみろといわれて。それで素振りをずっとやってきました。」

 こうした練習の積み重ねが実を結び、3年生になってからは20本の本塁打を放ち、4番打者として活躍。さらにジャイアンツカップ優勝も経験した。山下は初めて東京ドームに踏み入れた時、足が震えたという。

 「本当に緊張しました。打席に立った瞬間、足が震えました。甲子園は子供の時から見に行っているので、それほど緊張しなかったんですけど、あの時は本当に緊張しました。優勝した瞬間は信じられない気持ちでした。地区大会は絶対に勝ち抜くつもりだったのですが、全国制覇はとても…」

 中学で日本一を経験した山下は健大高崎への進学を決意する。

 「羽曳野では、打って打ちまくる野球をやってきました。頭を使って走塁をする健大高崎の野球はのちの野球人生に役に立つと思いました。」

 ここまでの話を聞くと、山下は今までの自分にはないものを求める野球人だということが分かる。小学生時代に野球の楽しさを知って、勝つ楽しさを知るために羽曳野ボーイズを選ぶ。そこで中学日本一と打撃のイロハを学び、そして高校では今まで取り組んでいなかった走塁を鍛える健大高崎に進むことを選んだ。そのことについて触れると山下は「やっぱり野球が好きなんで、研究したいことがいっぱいあるんですよね。」

 やはり野球の虫である。

 そして山下は中学3年生の時にある目標を立てた。テレビ番組の特集で、「高校通算60本塁打を打ちたい」と語った。高い目標を言ってしまったと思ったが、言ったからにはその目標を達成しないといけない。それぐらい打てる打者になりたいと意気込んで健大高崎に飛び込んだ。

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