松坂世代の甲子園ベスト4の先輩球児が語る、当時の経験が活きること 山瀬正明(豊田大谷出身)
今から20年前の1998年、『平成の怪物』と今も呼ばれる横浜の松坂大輔(現中日ドラゴンズ)が甲子園春夏連覇を成し遂げた。
この年、夏の甲子園ベスト4には横浜と決勝を戦った京都成章、準決勝で横浜と対戦した明徳義塾。そして、愛知の豊田大谷が顔を連ねる。
その豊田大谷の当時の選手で、現在ミズノオオサカ茶屋町店で働いている山瀬正明さんに高校時代のことや現在のお仕事についてお話を伺った。
逆転勝ちで勝ち進んだベスト4
ミズノオオサカ茶屋町店で勤務する 山瀬正明さん
豊田大谷は東愛知代表として、甲子園初戦で村田修一(現栃木ゴールデンブレーブス)を擁する東福岡、そして準々決勝で和田毅(現福岡ソフトバンクホークス)にがいた浜田に勝利している。輝かしい成績を残しているが、山瀬さんに松坂大輔選手のことを聞くと、
「今思えば、まぐれでもヒット打てたら、自慢になっていたかもしれませんけど、当時は松坂選手とは対戦したくないと思うほど凄かったです。」
当時の松坂選手の凄さはそれほどだったのだ。豊田大谷はこの年、学校史上2度目の甲子園出場を果たした世代で、2年生から試合に出場していた山瀬さんは2年連続の夏の甲子園出場となっていた。
2年生のときは、2回戦で甲府商に敗戦している。だが、3年生として臨んだ80回大会は運があったと言う。
「1回戦で東福岡と当たった時に、PL学園にいた知り合いから、東福岡はかなり強いと聞いていました。ちょっとしんどいかなと思っていたんですけど、そこを勝てたんです。
それで、2回戦も宇部商はサヨナラボークで勝利。次の3回戦は智弁和歌山だったんですね。前年度甲子園で優勝しているチームで、6月くらいに練習試合をやった時は、負けていました。正直、ここも厳しいと思っていたんですけど、9回に逆転勝ち。そして次の浜田はサヨナラ勝ちをして準決勝まで来たんです。」
当時はエースがいなかったことと、甲子園の勝ち方はほとんどが逆転勝ちばかり。2番・センターで出場していた山瀬さん自身はベスト4には入るとは正直思っていなかったと語る。
山瀬正明さんが勤務するミズノオオサカ茶屋町ってどんなところ?
・ミズノオオサカ茶屋町
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豊田大谷の門を叩いたキッカケ
当時の松坂大輔選手と同期で注目スラッガーだった、古木克明選手
そんな山瀬さんは、当時の最多タイの犠打記録の8つ(現在は9つ)を決めて、チームのベスト4に貢献しているが、豊田大谷に入学したキッカケは監督だった。
当時は豊田大谷の監督は元巨人の後藤孝次氏の兄、後藤篤監督だった。巨人ファンだった山瀬さんは凄い人だというイメージがあった。
だが決め手になったのはそれだけではない。
「練習に参加した時に、練習環境や、中学生に対してもしっかり挨拶してくれる選手の礼儀正しさ、そして寮もあって監督も一緒に住んでいる。そういった全ての面においてちょっと感動した」ことが決め手となり、豊田大谷の門を叩いた。
入学後は寮生活。朝5時前後には起きて、そこから朝食を作る組と掃除組を交代制で行っていた。その後朝7時から自主練がメインの朝練に取り組む。
そして授業が終わってからは、全体練習と1時間ほどの自主練をこなして、夜8時頃に練習が終わる日々を過ごしてきた。
山瀬さんが1年生の時は3学年で80人の部員がおり、走ったり、筋トレしたり、ひたすら声を出したりとボールを使えない練習ばかりのため、当初はしんどかったそうだ。最初の時点で、それらの練習で辞める選手も出ていた。
また3年生が引退してから本格的に練習に参加するようになったが、夏にはまた違う辛さが待っていた。
まずは真夏の炎天下の中で全員が声を出しながら足を揃えて10周走る。それが終わったら体操。そしてまた10周走る。その後にノックをこなし、午後からバッティング練習をする1日だった。
これだけの辛い練習を積んできた山瀬さんは、この練習に負けずに取り組み続けたことが甲子園へと繋がり、そして今の仕事に活きてきていると語ってくれた。
山瀬正明さんが勤務するミズノオオサカ茶屋町ってどんなところ?
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全ての経験が今の仕事に活きてくる
ミズノオオサカ茶屋町店で働く 山瀬正明さん
「当時の厳しさと会社の厳しさに違いはあるんですけど、心のどこかで人よりはしんどいことをしてきたという気持ちがあるので、メンタル的なところでは、今でも支えになっているところはあると思います。」
厳しさの種類は違えど、高校野球で積んできた練習は心の支えになっていると語った山瀬さん。忍耐力がついてきたと語る一方で、接客業だからこそ必要な能力がついたと語ってくれた。
「基本的なことですけど、挨拶にしろ、あとは目上の先輩の方に対する気遣いとか、その辺はしっかりできているかなと思います」と、お客様との接し方で高校野球の経験が活きているそうだ。
ただ学生に対しては意識して話し方を変えている。
「学生に対しては礼儀ということじゃなくて、ラフな感じで、気軽に話しかけるようにしています。あんまりかしこまると、向こうもかしこまるので。ある程度こっちもくだけて話すようにはしています」と、話しやすい雰囲気作りも心掛けて接客をしている。
野球が好きなこと。そして野球に限らず、スポーツに関わる仕事がしたくて今の仕事に携わっている。
その中でもミズノを選んだのは、山瀬さんの地元が大阪で、大阪に本社がある会社でスポーツメーカーといえば、ミズノが一番に出てきたために入社を決意。当初は野球以外の部署と言われていたが、入社してからずっと野球売り場で働いている。
ミズノオオサカ茶屋町店で働く 山瀬正明さん
現在のミズノオオサカ茶屋町店は、グローブ、バットをはじめとした豊富な商品を取り扱うだけでなく、ヴァーチャルボールパークと呼ばれるVR体感コーナーも設置されている。そこで働く山瀬さんは
「一番自分が学生時代に好きでやってきたことがそのまま仕事に繋がっているということで、全ての面で恵まれている」と、野球に囲まれた中で働けることに面白さを感じている。
さらに、「野球売り場にいると、『今度寮生活をするんです』とかそういう話をされる中学生の親御さんが子供を連れて来たりするんです。そんな時、僕も高校時代は寮生活をしていたので、いろんなアドバイスができます。そういった話をするので、お客さんからは助かるという声は頂いていますね。初めて子供さんを寮に行かすわけですから、どういう物が必要とか細かいところまで、あの時はこうでしたと話をすると喜んでもらえます。」
自身の体験談がお客様との会話で活かせていると、元球児ならではの説得力を持たせることできると話す。
最後に、高校野球3年間で礼儀、心の強さ、経験が現在の仕事に活きていると話してくれた山瀬さんに、球児へのメッセージを伺った。
「それぞれ練習が厳しくて、すごくつらい思いもすると思うんですけど、その経験が社会に出た時に、どんな形であれ生きてくると思います。仕事でもその時の経験の話ができたりとか、今、つらいことも社会に出たら全て生きてきたりすると思って頑張ってください。」
高校野球3年間で様々な経験を積んだ山瀬さん。その経験全てを活かせる仕事がミズノにあったのだった。
文=編集部
山瀬正明さんが勤務するミズノオオサカ茶屋町ってどんなところ?
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