Interview

「野球の経験はプレーすることが終わってから活きてくる」田中大貴アナウンサーが語る高校球児へのメッセージ!

2018.08.12

 元フジテレビのアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活躍の場を広げている田中大貴アナウンサー。慶應義塾大時代は強打者として活躍し、卒業後はアナウンサーとしてフジテレビに入社。入社後は『とくダネ!』や『すぽると!』などの人気報道番組で活躍するなど、華々しい経歴を持つ田中アナウンサーだが、その陰には高校時代からの地道な努力があった。今回は、フリーアナウンサーとして活躍を続ける田中アナウンサーにお話を伺い、野球に打ち込んだ学生時代、そしてアナウンサーとしてのやりがいや「松坂世代」への思いについて語っていただいた。

同い年であるということを何よりも大事にしてくれる「松坂世代」

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「松坂世代」への思いを語った田中アナウンサー

 「松坂世代の選手が大学や社会人、プロに入ったりする中で、彼らが僕を松坂世代の和に入れてくれました」

 「松坂世代」への思い入れを聞かれた田中アナウンサーは笑顔でそう答えた。
 高校時代は[stadium]甲子園[/stadium]に出場することができなかった田中アナウンサーは、[stadium]甲子園[/stadium]に出た人間だけが「松坂世代」という考え方が高校時代にあったという。しかし主砲として活躍した慶応大時代や、アナウンサーとしての業務を通じて様々な「松坂世代」の選手と関わっていき、その中で彼らが「松坂世代」の和に入れてくれたというのだ。

 「[stadium]甲子園[/stadium]に出場することができた人たちは一握りですが、彼らは[stadium]甲子園[/stadium]に出たかということ以上に、同い年であるということを何よりも大事にしてくれますね。そういう意味では高校時代に負けてよかったなと思います 」

 野球をやっていたからこそ、今こうして「松坂世代」の一員として同級生と関わることができている。
 田中アナウンサーは、その自身の経験をアナウンサーという仕事を通して、高校球児たちにも伝えていきたいという思いを強く持っている。

 「[stadium]甲子園[/stadium]を目指すのだけれど、ダメだったらダメだったで、ボクは甲子園に出られなかったから今があるんだ、という人生にして欲しいと思っています。また、それを伝える役割を持つ人間として、こういうことも伝えていきたいなと思ってやっています」

[page_break:「公立高校から甲子園に出たい」文武両道の高校時代]

「公立高校から甲子園に出たい」文武両道の高校時代

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「松坂世代」とのトークイベントの様子(左から田中大貴アナウンサー、元プロ野球選手の古木克明さん)

 そんな田中アナウンサーだが、高校時代は兵庫県の進学校・兵庫小野高校に通い、文武両道の高校生活を送っていた。

 「グランドと校舎の間に5、6段の階段があるのですが、成績が悪いとそこを下ろしてもらえないんですよ。赤点とか取ると下ろしてもらえないんで、基本勉強最優先というか、やらなければならないこと最優先。当時は、勉強をやらないと野球をやらせてもらえないという焦燥感がすごかったですね」

 そういった環境の中でも、[stadium]甲子園[/stadium]出場を目指して技術の向上に努めた田中アナウンサーは、毎日の日常生活の中で様々な工夫を凝らしていたという。当時の生活を伺うと、田中アナウンサーは高校時代を懐かしむように答えた。

 「練習時間は3時くらいから6時くらいまでと決まっているので、そこでいかに凝縮して練習するのかということを意識しました。また、勉強する時間もどこで作れるかというのも常に考えていました。学校に行く途中の電車内であったりだとか、授業で寝てしまうとそのことを家に帰って復習しなといけなくなるので、授業を最大に集中させることも意識しましたね」

 そんな努力の甲斐もあり、田中アナウンサーは最後の夏は主将として東兵庫大会でベスト8に進出し、さらには兵庫県選抜の代表にも選出された。

 「僕の場合は、中学生の時から公立高校から[stadium]甲子園[/stadium]に出たいと思っていました。強豪校に行くのでは無くて、勉強をしっかりして、僕らでも強豪校に勝てるんじゃ無いかというのを証明してやりたいというのがありました。なので、僕は兵庫小野高校としか受けませんでした。兵庫小野高校に行って[stadium]甲子園[/stadium]に出てやろうとずっと思っていました」

[page_break:人が進まない道にトライして慶応大のレギュラーを獲得 ]

人が進まない道にトライして慶応大のレギュラーを獲得

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「松坂世代」とのトークイベントで当時を懐かしむ田中アナウンサー

 [stadium]甲子園[/stadium]出場こそ果たせなかったものの、主将として、兵庫県代表として濃密な高校野球生活を送った田中アナだが、高校野球を引退すると今度は進路選択という岐路に立たされた。

 「はじめは田口壮さんに憧れていたんで関西学院大に行こうと思っていたんですけど、父親に野球を大学でやるのであれば1番レベルの高いところでやりなさいと言われました。
 また松坂世代の選手を甲子園を見たときに、彼らはどこにいくのだろう、彼らと対戦をして、彼らと同じレベルで野球をやるにはどこにいけばいいんだろうと考えて、やっぱり東京六大学がいいなと。で、やっぱり慶應義塾大という高橋由伸さんがいたところで、そこに行って松坂世代の[stadium]甲子園[/stadium]で活躍していた選手たちと戦いたいと思って勉強を始めました」

 そうして田中アナウンサーは猛勉強の末、AO入試で環境情報学部と総合政策部と二つの学部に合格。環境情報学部への進学を選択し、晴れて慶應義塾大への入学することとなった。当然、野球部にも入部し、東京六大学リーグの舞台を目指すことになったが、田中アナウンサーはここでも大きな壁にぶつかることになる。

 「高校の時は30人くらい、一学年10人くらいの学校だったんですけど、入ったらいきなり一つのポジションに12、3人いるんですよ。僕らも公立高校の中では、まあまあ力はある方だと思っていたんですけど、自分よりも力のある、しかも勉強をやってきた人がこんなにいるんだなと思って。凄い狭い中でやってたんだなっていうのを感じましたね」

 だが結論から言うと、田中アナウンサーは慶應義塾大のレギュラーを掴み、4年春のリーグ戦では4番として本塁打王のタイトルを獲得することになる。そこに至るまでにも、田中アナウンサーは高校時代と同様に様々な創意工夫を持って練習に取り組んでいたという。

 「他の選手たちが練習をしていない時間に練習をしたりとか、日吉のグランドではできないトレーニングを他でトレーニングジムに通ってやったりというのはずっと考えてやってました。バットに関しても、他が使ってなくて、これが自分に合うんじゃないかというものを考えて、最終的にはハイゴールドというメーカーを選びました。速い球も打てるし、変化球にも対応できるバットはどれか考え抜いて、860~70gのすごく軽くて、ヘッドが効いていて、84センチの短いものにしてもらい、そういった工夫をずっと考えていました。
 今まで誰も歩んだことがない道をあえてトライしてみるというのが、最終的には目標に向かっては近道になるんじゃないかなと思いますね」

[page_break:小倉智昭さんの言葉でアナウンサーとして大きく成長]

小倉智昭さんの言葉でアナウンサーとして大きく成長

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トークイベントに出席した左から田中大貴アナウンサー、澤井芳信さん、松本勉さん、古木克明さん

 慶應義塾大のレギュラーを掴み、本塁打王まで獲得した田中アナウンサーだが、そこからなぜアナウンサーへの道を志したのか。また、野球への未練はなかったのか。疑問をぶつけてみると、田中アナウンサーは最初はアナウンサーになるつもりはなかった事を明かした。

 「3年生の1月に内定をもらうんですけど、就職活動の一環として一番最初に受けたところで内定をもらったという感じでした。野球はまだ続けるか迷っていたんですけど、そんなときに高橋由伸さん(巨人監督)がオフの時期に慶大野球部寮にいらっしゃっていたんで相談をしたら「もう辞めなさい。野球はもういいよ」と。なぜならこの4年生の春のリーグ戦に入る前に、自分がプロに言って活躍する姿を想像できるかと聞かれたんですよ。
 当然出来ないですよね。できませんと言ったら、じゃあもう十分だよ、4年生の秋まで頑張って、その後はフジテレビのアナウンサーとしてスポーツを伝える側の人になりなさいと」

 こうして田中アナウンサーは、高橋由伸さんの助言を受けてフジテレビへの入社を決めて、アナウンサーとしての一歩を踏み出すこととなった。しかし、いざフジテレビに入してみると、田中アナウンサーはここでも大きな壁にぶつかることとなった。

 「はじめは自分が想像してない世界に入ったので、夏場にグランドにいないのが気持ち悪かったりとか、なんでこんな室内の涼しいところでスーツ着てスタジオいるんだろうとか、違和感しかありませんでした。お台場の海見ながら「自分に合っていないことをやっているんじゃないか」という感じで。入社2、3年目くらいまでは毎月辞めたいなと思っていました」

 モヤモヤとした感情が湧くばかりで、アナウンサーの仕事に打ち込めずにいた田中アナウンサー。だが、そんな田中アナウンサーを救ったのが情報番組「とくダネ!」で共演していた小倉智昭さんの言葉だった。

 「これまで野球をやっていたんだろ?じゃあテレビの世界は得意なはずだと。なぜなら試合や練習を作ってくれる控えの選手がADであり、試合に出て行く人間たちがディレクターとかであり、最後に決着をつけるのがアナウンサーで表に出て伝える役だ。それで次の日に得点として視聴率がでるわけでしょ、というのを小倉さんに言われました。だからこういう考え方でいくと野球と一緒だろと言われて、ああそうだなと思って」

 この言葉で考え方が変わった田中アナウンサーは、ここからアナウンサーという仕事が楽しくなってきたという。活躍する「松坂世代」の同級生を羨望の眼差しだけで見ていたが、それからは知っているんだったら自分にしか伝えられないものをどんどん出していき、自分にしか会えない人に会い、自分にしか答えてくれないエピソードや人間性をどんどん世に知ってもらおうという意識を持つようになったというのだ。

 野球から得た経験が、「松坂世代」の和やアナウンサーとしての成長に大きく繋がっていった田中アナウンサー。最後に高校球児たちへのメッセージをお願いすると、言葉を丁寧に選ぶながらこう答えてくれた。

 「いつかは野球をプレーすることを辞めなければいけないけれども、野球からの卒業はありません。野球をやっていたことはすべてこれからの人生に落とし込んで、ライフスタイルの中に繋がってくるのが野球の魅力だと思います。だから思う存分今経験してもらって、その経験は野球をプレーすることが終わってから活きてきますよということを皆さんに伝えたいですね」

文=栗崎祐太朗

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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