非日常だった甲子園での日々 高校3年間はかけがえのない思い出 MIZUNO 斎藤真一部長 (大阪・春日丘出身)VOL.3
PL学園を破った大阪春日丘の当時のメンバーで、現在はミズノ株式会社のダイヤモンドスポーツ事業部の斎藤真一さんにインタビュー!最終回は甲子園の思い出やミズノ入社のきっかけ。そして高校球児へメッセージをいただきました。
1日練習2時間 毎日ステーキ、トンカツ、すき焼きと肉まみれの宿舎生活
ミズノ株式会社 ダイヤモンドスポーツ事業部 斎藤真一部長
―― 甲子園の思い出を教えてください。
斎藤真一(以下:斎藤): 甲子園の時にすごい覚えてるのが、野球もそうなんですけど、高槻の方の宿舎に泊まってたんですけど、歴史の古い学校やったんで、寄付金も凄いし、差し入れも凄いんですよ。
それで当時厨房に行くと、肉の塊とかがすごい置いてあるんです。だから毎日、すき焼きをしながら、トンカツを食べて、ステーキを食べるという。毎日そんな感じでした。でも、三日で食われへんようになりました。三日間ぐらいみんな喜んで食べてましたけど、四日目からはすき焼きの底の白菜とか麩とか、そんなんばっかり食べてました。あれだけ肉まみれになったのは、この時だけでしたね。楽しかったですけどね、宿舎で泊まって。
甲子園大会になると、大阪の学校でも、不公平感を無くすために練習場が割り振られるんです。1日2時間しか練習したらあかんのですよ。だから地元の学校であっても、割り当てられるのが2時間の練習だけなので、試合の無い日は『暇』言うたらおかしいんですけど、時間がいくらでもあるんです。
甲子園行かへんかったら、その間もずーっと練習でしょ。でも甲子園に行くと1日2時間しか練習せんでいいんで、楽だなと思ったのも覚えてます。
負けた法政二高との試合は、僕は途中から代走で出て、守備について、1度だけ打席にはいったんですけど、今一緒に仕事をしてる御園さんという方が東京にいらっしゃるんですけどね、それが法政二高のキャプテンをやられてたんですよ。当時は法政二高のキャプテンということしか思ってなかったんですけど、会社に入ってある時に御園さんと出会うんです。その時はもう感動しましたよね。『御園』って聞いた時に、(えっ?)と。経歴を訊くと法政二高で法政大学なんで、ひょっとしてって訊いたら、試合をやってたと。その人と一緒に仕事をやってるっていうのが、なかなか感動しました。
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最上級生になった翌年は甲子園に出場できず それでもすべてが思い出
ミズノ株式会社 ダイヤモンドスポーツ事業部 斎藤真一部長
―― 甲子園が終わり、その後はいかがでしたか。
斎藤: 自分は副主将となりました。2年秋は4回戦で負けたんかな。それで最後の大会は3回戦で負けましたかね。もう一回行きたかったですけどね。選抜にも行けず、夏も。
最後の夏はPLには桑田、清原が入って凄かったですからね。まあ、どうあがいても勝たれへんかったですね、当たってたらね。
最後敗れた浪速高校。強かったんですよ。当時のピッチャーに門田くんという子がおって、その子は龍谷大行くんかな。それでまた活躍するんですけど、ええピッチャーがいてね、そのピッチャーがなかなか打てなくて、4対1で負けたんかな。その試合はけっこう悔いが残ってます。
――高校野球3年間終わって、どんな感じでしたか。
斎藤: ウチは茨木に学校があって、[stadium]万博球場[/stadium]がわりと学校の近くにあるんですけど、そこで負けて、その日の晩にみんなでご飯を食べに行ったんです。同級生が20人いたんで、20人全員で近所の『養老の滝』に飯食いに行ったんです。そこで3時間ぐらい、お酒はもちろん飲まないんですけど、どんちゃん騒ぎして家に帰るんですけど、祭りの後の寂しさみたいのあるでしょ。試合に負ける、それを紛らわすためにみんなで騒ぐ、でも家に帰ると独りになるんですね。そら寂しかったですよね。す~ごい寂しかったのを覚えてます。
その日の晩もね、前の年に甲子園に出てるので、テレビ番組で大阪春日丘が負けるという試合が取り上げられるんですよね。次の日の新聞なんかにも“去年の代表校が負ける”みたいな記事が大きく出るんですよね。それ見てまた寂しくなりました。
次の日はとりあえず最後3年生集まってミーティングに行って、その後にみんなで泳ぎに行こう、海に行こうっていうことで、若狭の方の民宿を予約して、20人で海に行ったでんすよね。でもね、みんな高校野球はほとんど休みが無いもんでね、そんなに遊んだことも無いんで、海に行っても焼き方が分からないので、みんないきなり焼いて火傷をしてね。ふだんは身体を焼いてないので、もう初日にみんな火傷でね。二日目は布団に寝て、元気なヤツがタオルで冷やすみたいな。それでみんな旅行を台無しにして帰ったという感じでしたね。
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ミズノ入社のきっかけ。そして高校球児へメッセージ
ミズノ株式会社 ダイヤモンドスポーツ事業部 斎藤真一部長
――その後、斎藤さんは大阪教育大に進み、硬式野球部に4年間在籍。卒業後はミズノに入社しますがどういうきっかけなのでしょうか。
斎藤: 僕はほんと、先生になるつもりやったんですよ。だけど当時は採用が厳しくて、講師をしながら教員を目指す流れが多くて、私も大学4年間のあとに教員にはなれず、講師をしながら目指そうと考えていました。でも、就職活動もしたほうがいいかなと思い、当時は9月が一般企業の採用試験の解禁で、ミズノから内定をいただきました。
どうするか悩みまして、その後、教育実習で4週間ほど付属の中学校に行ったのですが、当時の指導教官の先生から内定をもらったことを話すと、絶対に内定先に行ったほうがいい!と就職を薦められたんです。先生が言うには、大学を卒業して、教師になると、学校社会しか知らないから良くないよと。「先生なんかいつでもなれるよ」といわれて、なるほどなと。
もちろんミズノを受けたというのは、当然スポーツの会社ですしね、そういうことに関われればいいかなと思ってましたし、当時僕は大学で、運動に関する専門的な勉強もけっこうやってたんでね。そういうことを実現したいなという想いもあって入ったのも一つなんですけど。
それで、そのうち採用試験を受けようとずっと思ってたんですけど、30年経ってしまいましたね(笑)
―― 今はどういうお仕事をされているんですか?
斎藤: 『ダイヤモンドスポーツ事業部』という、野球・ソフトボール関係の事業を取り仕切るという部隊で、『事業企画管理部』というところで部長をやらせていただいております。主に野球・ソフトボール関係のマーケティング、球団のビジネス、ユーザーや得意先へのサービス、あとは商品コントロール関係。主に僕のテリトリーはそういうところです。
―― この仕事の醍醐味というのはどういうものがありますか?
斎藤: 今は責任ある立場をやらせてもらってますんで、責任と裏返しに、仕事を達成した時の達成感みたいなものがひじょうに。僕の仕事だけじゃないと思うんですけどね。どの仕事でも一緒やと思いますけど。
―― 斎藤さんは非常に濃い高校時代の3年間送られてきましたが、今の仕事に生きてることって、何かありますか?
斎藤: そうですね、高校3年間の高校野球の捉え方は人それぞれだと思うんですよ。甲子園の思い出はすごい良い思い出、その後上級生になっていろいろ苦い思い出、そういうものも全部含めて思い出なんですよね。
―― 最後に、高校球児に何かメッセージをお願いします。
斎藤: とにかく高校野球はほんとに素晴らしいので。やってる時は気づいてない子が大半やと思います。終わってからもう一度、高校野球がやりたいと思うし、あの時代に帰りたいと思うし。それぐらいかけがえのないものなんです。
だからとにかく、“悔いのないように”と言えばね、みんな悔いは残るんですけど、『今』というものを大切にしてほしいですね。
その後のこと、大学に行ってとか社会人になってとか、いろいろ考えないといけないことはあるかも分かりませんけど、でもそんなことは抜きにして、高校野球をやってる『今』を燃焼してほしいと思います。
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文=河嶋宗一