今年の中国地区を代表する速球投手・引地 秀一郎。最速151キロの速球を投げ込む剛速球右腕だ。1年生の夏から146キロのスピードボールを投げ込み、大きな期待をかけられた引地は最終学年を迎えた。速球投手・引地のルーツや、勝てる投手になるための取り組みを聞いた。
中学時代のケガが速球投手・引地の原点
―― 小学校1年生で野球を始めた引地投手。投手になったのはいつからですか?
引地秀一郎(以下引地):投手になったのは小学校5年生からです。当時から同級生の中ではそこそこ肩は強い方でした。投手は上原浩治さんにあこがれていましたね。
―― 投手を始めたときからスピードはありましたか?
引地: スピードが上がってきたのは中学生(軟式)の時からですね。小学校の時に肘を痛めて、中学2年の春にまた肘が痛くなった時に投げた方を変えないとまた痛めるなと思い、通っていた整体の先生に肘の使い方を教わりました。
それまでは我流でアーム投げでしたが、肘の基本的な使い方を教わってから、スピードも速くなり、中学2年生の夏の大会前には投げれるようになりましたね。中学3年生には137キロを出せるようになりました。
―― どう矯正したのですか?
引地: 怪我をしている期間にシャドウピッチング、新聞紙を丸めたボールを投げたりしました。当時は週2回ぐらい整体に通っていました。
―― 倉敷商業に進むきっかけを教えてください。
引地: 公立校であった点と、練習の雰囲気がよくて、監督の森光先生が熱い方だったので進学を決めました。
―― 実際に高校野球の印象はどうでしたか??
引地: やはりすごいなと思いました。中学校の時のように簡単には勝てないと思いました。
―― 1年夏からデビューし、さらに最速146キロを計測します。
引地: 最初は緊張しましたね。146キロを出すことができたのも、スピードは意識せずに、その時は全力で投げた結果で生まれたものだと思っています。