宜保 翔(KBC学園未来高校沖縄)強烈な個性と圧倒的努力で「やりたいことをやり切る」
一年生大会で優勝し、最後の年となる春の県大会で再び沖縄の頂点に立ったKBC学園未来沖縄と宜保翔。県野球部対抗競技会の立ち三段跳びで二年連続一位を記録するなど、身体のバネを活かした走りと守りは見ている者をワクワクさせる。稀なる能力のルーツも探りつつ、彼の野球観にも迫ってみた。
バレーボール好きな少年
守備練習をする宜保 翔(未来沖縄)
小学校に入る前から水泳をしていた宜保翔。クロールやバタフライなど、肩関節周りを無意識の内に柔らかく強くする水泳が、後に野球をすることになる選手に良い影響を与えるのは良く聞く。それに加え、宜保翔には身体のバネを開花させる環境があった。
宜保「父と母がバレー選手で、小さいときから一緒にコートに行っては遊んでいました。」
かっこいいアタックをしたい。子供ならそう思う。ジャンプを繰り返す幼い子供に、身体のバネが養われていった。
小学校地区陸上で記録更新
そんな宜保翔だったが、友達が野球を始めたのをきっかけに野球部へ入る。余談だが、宜保翔のスタート地点となった根差部ベースナイン(とよみ小学校)は、今年の夏に[stadium]明治神宮球場[/stadium]で行われる全日本学童軟式野球大会に出場するなど、沖縄県屈指の強豪チームだ。5年生のとき、小学校地区対抗の陸上大会に、60mハードル走にエントリーした宜保翔。それまでの大会記録を更新した。
宜保「僕が出した記録は9秒9。それ以降、まだ破られていないと聞きます。」
脚力とバネはもちろん、跳ぶ能力、歩幅を合わせる技術などハードル走の難しいことをクリアしていった少年は、野球のイロハも飲み込んでいく。ショート兼ピッチャーはこの頃から彼の代名詞となっていた。しかし…
宜保「中学二年のときに、肘を壊してしまいました。」
アップ不足のまま投げてしまいケガをしてしまった。それ以降、宜保翔がマウンドに上がる姿は無かった。
[page_break: KBC学園未来沖縄を選ぶ ]KBC学園未来沖縄を選ぶ
インタビューを受ける宜保 翔(未来沖縄)
中学三年になった宜保翔。進路先を選ぶ時期に来た。通常なら兄の後(那覇高校)を追いそうなものだが。。。
宜保「話を聞いて、自分がやりたい!というスタイルが、ここなら出来ると思いました。」
宜保翔が選んだ高校は、当時野球部創部二年目のKBC学園未来高校沖縄(以下未来沖縄)。幼い頃から、やらされることが嫌いな少年は、自分を表現する野球に胸を躍らせ高校野球のステージに立った。が、現実は甘く無かった。当初専用グラウンドが無かった未来沖縄。空いている球場を借りる日々が続く。
宜保「移動までの準備と時間で、自分の集中力が切れると言いますか。モチベーションは上がらないままでした。」
好きな野球が思う存分出来ないまま時が過ぎていく。秋前、やっと練習出来るグラウンドを確保することが出来た。逆にそれが、いままで溜まっていたパワーをぶつけるきっかけになったのかも知れない。
一年生大会で見事優勝。同校にとっても公式戦初優勝だった。
宜保「あの優勝で、自分たちのスタイルというものが、みんなの中で確立したのだと思います。」
[page_break:"個"の集団が"和"の集団へ ]"個"の集団が"和"の集団へ
誰が見ても分かるほど喜怒哀楽を表現しては、誰もが予測不能なプレーを涼しい顔でやってのける。宜保翔の周りを囲むチームメートの、どこにもない強烈な個性野球は一年生大会の優勝から始まった。しかし、二年生になっての二度目の夏で一回戦敗退。新チームになっての新人大会、秋季大会は不完全燃焼。
宜保「自分が、極端に言えば毎打席ホームランを狙っているような感じ。それがみんなに広がって。やっぱりそれでは勝てない。」
自分たちの代では負けるはずがない。そういう自負があってもおかしくない。しかし、相手より自分たちの個々が圧倒的に上でも負けるときがある。それが野球。ときに自分勝手と映るのには、エース・新垣龍希の存在があった。
宜保「龍希(のピッチング)に頼り過ぎている自分たちがいた。」
新垣がいるから、抑えて勝てるから自分は何をやっても大丈夫。ちょっとした思いがチーム全体に広がり、結果勝てない日々が続いた。そして冬、チームに衝撃が走る。新垣の離脱だ。
宜保「中学までピッチャーもやっていたので、やっぱり投げたい気持ちはありました。」
新垣に次ぐ二番手の伊波も故障し、140kmのストレートを投げる宜保翔に白羽の矢が立てられた。打者が嫌がるピッチャーはとは…そう考えていた宜保翔に、ある思いが浮かんだ。
宜保「上と横から自在に投げられたら嫌だろうなと。」
春季県大会。スリークォーターとサイドスローを投げ分ける宜保翔に、周囲は釘付けになる。決勝の興南戦では145kmをマークし完封。秋春夏の主要3大会での初優勝に華を添えた。そればかりでなく、初出場となった九州地区高校野球大会でもKBC未来沖縄は躍動。2014年、第134回大会の島原農林(長崎県)以来の初出場でベスト4入りしたのだ。
強烈で自我の塊だった"個"の集団が、頼れるエースのケガによって身が引き締り"和"の集団へと変貌。第142回九州地区高校野球大会準々決勝の八幡戦で久し振りに登板し、熊本県派遣親善交流強化試合の九州学院戦でもマウンドに上がった新垣。同じく熊本県派遣親善交流強化試合で登板した伊波洋一の復活と合わせ、これ以上ない最高の形で最後の夏を迎える宜保翔とKBC未来沖縄。
宜保「九州大会も、これが最後だと思って本気で取り組んだ。夏もアドレナリン全開でいく。自分は前しか見ないタイプ。やりたいことをやる男。全てやりきりたいです。」
チーム一の努力家と、監督、部長、副部長が口を揃える宜保翔。やりきったその先に、聖地甲子園が待っている。
文=當山雅通