目次

[1]兄に憧れ、そして同じ道を歩んできた
[2]投球フォーム変更の狙い
[3]理想は周囲から安心して見られるような安定感のある投手に


 昨秋、明秀日立(茨城)のエースとして活躍し、関東大会で準優勝。見事、センバツ初出場を決めたチームの原動力となった細川 拓哉選手。本格的に投手へ転向したのは高校に入ってからで、まだまだキャリアが浅いなか、どのようにして実力を上げてきたのだろうか。

兄に憧れ、そして同じ道を歩んできた

 小学校1年から北茨城リトルで野球を始めた細川選手。この時、2学年上の兄で、現在、DeNAベイスターズに在籍している細川 成也選手と一緒に入団したのだという。「兄がチームに入ることになったので、そのついでじゃないですけれど自分も。中学時代は福島県のいわきシニアでプレーしたのですが、その時も同じチームでした」。

 高校も兄の背中を追うように明秀日立へ進むことに。「兄の体が高校に入ってからどんどん大きくなっていったのを間近で見ていましたし、『明秀日立に来れば、強くなれる』とも言われていましたから。兄とはポジションが違いますが、あの長打力はすごいと思ってバッティングフォームをマネした時もあります。それに、毎日、スイング練習を欠かさずに努力していましたし、グローブやスパイクを磨いて道具を大事にしていたので、今も尊敬している存在です」

 こうして明秀日立に入った細川選手だが、投手転向は突然の出来事だった。「中学ではずっとサードを守っていたんですけれど、高1の6月頃に金沢(成奉)監督から『ブルペンで投げてみろ』と急に言われて、びっくりしたのを覚えています。
 でも、いざ投げてみたら『球が速いからピッチャーの方が向いている』と言われて、それから本格的に投手の練習をすることになりました」。球速は1年秋に138キロを記録。だが、「当時はまだ野手投げというか、リリースの時にボールを押してしまっていて、切るように投げることができませんでした」。

 そこで、冬のオフシーズンは「ボールの質を変えること」をテーマに、指のかかり方を意識して投げ込み。同時にトレーニングで体を鍛えていった。「冬のランメニューでは、グラウンド1周か2周を6~8本やるのですが、金沢監督から『ピッチャーなんだから、人一倍、やらなきゃダメだ』と言われたので、ただ設定タイムをクリアするのではなく、毎回、トップでゴールすることにこだわってやってきました。『どこまで追い込めるか』を課題にし、自分自身にプレッシャーをかけて走ることで精神的にも鍛えられたと思います」。 

 こうして、2年夏には140キロ超えを果たした球速は、現在、MAX144キロまで達した。「目標としては150キロという気持ちがありますが、球速を速くするために特別な練習はしていません。地道に基礎体力を鍛えていけば、スピードは付いてくるものだと思っています」。また、こうした走り込みによって、球速のみならずタフさも身に付いていった。 

 「昨秋の茨城大会・準決勝で常総学院と対戦したのですが、パスボールで先制されて焦ってしまい、5回までに4失点。でも、打線が逆転してくれてからは6回から9回まで無失点で、とても良いピッチングができました。スタミナには元々、自信があったのですが、やはりトレーニングをしてきたことが試合後半の強さにつながっています」。そして、チームが勝ち上がると共に、当然、連投するケースも目立った。
 「連投は苦手だったのですが、8月の暑い時期に練習試合が多く組まれて、そこで連投して投げるスタミナを付けていきました。あの時期は毎試合、心を強く持って集中して取り組めたと思います」

PHOTO GALLERY フォトギャラリー

写真をクリックすると拡大写真がご覧になれます。