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第636回 田中 悠我(帝京) 「次こそ夢の聖地へ!」2018年01月04日

【目次】
[1] 乱打戦となった帝京vs智辯和歌山に憧れて
[2] セールスポイントは逆方向への強い打球
[3] チームを1つに今度こそ夏の甲子園へ
センバツは第90回、夏の選手権は第100回大会を迎えるなど、高校野球にとって節目の2018年。加えて新3年生となる世代は2000年生まれが大半を占める、いわゆる「ミレニアム世代」。すべてにおいて記念すべき一年を飾るべく、全国各地で逸材たちが活躍の助走に入ろうとしている。
そこで今回はそのトップレベルプレイヤーたちを徹底インタビュー。インタビューするのは帝京の田中 悠我だ。
これまで数多のプロ野球選手を輩出し、春1回、夏2回の全国優勝を誇る帝京(東京)。しかし、その後は東京(東東京)大会で上位に進出するもののあと一歩が届かず、2011年夏を最後に甲子園から遠ざかっている。そんな名門復活を目指すチームにおいて中心選手として期待されている田中 悠我の歩みを振り返る。
乱打戦となった帝京vs智辯和歌山に憧れて

田中 悠我(帝京)
田中選手が野球を始めたのは小学1年生の時。児童館で一緒に遊んでいた先輩から誘われたのがきっかけだった。中学時代はポニーリーグの江東ライオンズでプレーし3年夏はジャイアンツカップに出場。2回戦で敗退したが、その試合で田中選手はホームランを放っている。そして、自分の進路として帝京を意識しはじめたのもこの頃だ。
「乱打戦になった(06年夏)甲子園での智辯和歌山戦の映像なども見て、『東の横綱』『強打の帝京』という印象を持っていました。縦縞のユニフォームも威圧感があってカッコよかったです」
こうして憧れの帝京に入学した田中選手。入部した当初は「先輩たちの体が大きくてびっくりしました。2学年上には郡 拓也(日本ハム)さんもいたのですが肩は強いし、足も速い。なにより考えて野球をするという部分で大きな差を感じました」と振り返る。
しかし、バッティングでは負けていなかった。1年夏には既にスタメンとして起用され、全4試合で打率・500(12打数6安打3打点)を記録。「集中力があるタイプで一度自分の世界に入ったら、のめりこむ感じなんです。でも、試合では周囲に気を配る必要があるので、逆にのめりこみすぎて視野が狭くならないように打席に入る時やポジションについた時は必ず一礼をしています。そうやって自分が落ち着いていることを確認し、気持ちの余裕を持つようにしているんです」
順風満帆ともいえるスタートを切った田中選手だが、1年秋は一転して調子を落としてしまう。「秋季大会はまったく打てませんでした。その頃はバットが外から回って出てきていて、サードゴロやショートゴロばかりでした」。そんなスランプから、田中選手はどうやって脱却していったのだろうか。