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第628回 徳島インディゴソックス・大藏 彰人投手(中日ドラゴンズ育成1位指名)挫折を越え、野球愛を叫び、開けた「NPB」の扉2017年12月26日

【目次】
[1]大学監督からの「救いの手」と前期の「蓄積」
[2]「伊藤 翔」の長所を成長に採り入れる/「徳島」で得たものを、ナゴヤドームで発揮する
さる10月26日に行われた「プロ野球ドラフト会議 supported byリポビタンD」で中日ドラゴンズから育成1位指名を受けたの徳島インディゴソックスの最速147キロ大型右腕・大藏 彰人。実はこの大藏投手、中日ドラゴンズ・中田 宗男スカウト部長が入団合意会見で「やっと本格化してくれた」と表現したように、大垣西高では岐阜県屈指、愛知学院大3年までは愛知大学野球連盟屈指の右腕として鳴らした人物である。
では、彼はどのようにして挫折を越え、野球愛を叫び、NPBの扉を開けたのか?今回は愛知学院大4年での1年間、徳島インディゴソックスでの1年間、計2年間を中心に語ってもらった。
大学監督からの「救いの手」と前期の「蓄積」

大藏 彰人投手
――プロフィールにもありますが、愛知学院大3年春までは順風満帆だった大藏彰人投手の野球人生。ですが、大学3年秋からは苦しい時期が続きました。
大藏 彰人(以下、大藏) はい。3年秋にはチームを2部に落としてしまって、4年生ではケガ。一時は野球を辞めようとも思っていたくらいでした。 ただ、そこで木村(孝)監督に相談したら、日本ハムファイターズでチームメイトだった縁から、当時・徳島インディゴソックスの監督だった中島 輝士さん(2017年は韓国:ハンファ・イーグルス一軍打撃コーチ)に話をして頂いて、最終的に入団が決まりました。
――となると、木村 孝監督あってこその徳島インディゴソックス入団だったわけですね。しかしながら、前期は2試合のみの登板。そこから後期急浮上しました。
大藏 前期の香川オリーブガイナーズ戦で先発機会をもらうも自滅して練習生に落とされた時、養父 鐡(前)監督から「試合はその試合しかない。前の試合なんて関係ない。マウンドでは気持ちを入れて投げろ」と言われたことが大きかったです。それ以降、自分の中で心を整えてマウンドに立てるようになりました。
――同時に、ウエイトトレーニングにも前期は地道に取り組んでいました。
大藏 自分の弱点はずっと解っていたんです。身体が細く、筋力がないこと。「ここに何をしに来たのか、プロとして何をすべきか」を考えて、ウエイトトレーニングと食事トレーニングには取り組みました。あとはショルダートレーニングやストレッチにも目を向けてけがをしない身体づくりにも取り組みました。
――他に具体的には何をやっていきましたか?
大藏 簡単なスクワットを何種類かやって下半身も鍛えたことにより、ウエイトトレーニングで付いた上半身の力が連動して、後期になるとリリースで力が入るようになりました。
食事面で言えば、サプリメントを使うことと体重を増やすプロテインに変えて、食事の回数を変えました。これまでは一日3食を多く摂っていたものを、普通の量で一日6食にしました。体重も入団時の72キロから88キロになりました。
球速もアベレージで5キロ上がりましたし、状態も安定するようになった。監督をはじめ、首脳陣の皆さんから身体を大きくする指導をされたことも大きかったと思います。
【次のページ】 「伊藤 翔」の長所を成長に採り入れる/「徳島」で得たものを、ナゴヤドームで発揮する

- 大藏彰人(おおくら・あきと)
- ポジション:投手
- 身長:190センチ88キロ
- タイプ:右投げ右打ち
- 生年月日:1994年5月15日生まれ
- 愛知県豊川市一宮町出身。市立一宮東部部小3年時、長山ジャガーズで軟式野球を始める。当時から一貫して投手。市立一宮中では「新城ボーイズ/ベアーズ」に所属し一塁手兼投手。当時のチームメイトは老平 匡秀(藤井学園寒川高~拓殖大)ら。自身はチーム引退後に岐阜県垂井町立不破中へ転校する。 高校は岐阜県立大垣西高等学校に進学し1年秋からエース。2年秋には県大会4位に導きチームは第84回センバツ21世紀枠・東海地区候補校に選出され、3年春は準決勝で市立岐阜商を破り、県大会準優勝で2012年春の東海大会出場。県内トップクラスの右腕と謳われた。最後の夏は無念の岐阜大会初戦敗退。 大学は愛知学院大に進学。1年秋はダブルエースの一角を占め、2年春には防御率1.89で愛知大学野球リーグ最優秀防御率、ベストナイン投手部門に選出され3季ぶり優勝の原動力となると、続く第63回全日本大学野球選手権でも2試合に先発し9回を投げ防御率2.00。チームもベスト4入りを果たした。なお、当時の4年生は埼玉西武ライオンズで今年、パ・リーグ新人王に輝いた源田 壮亮。 続く3年春も防御率1.64で最優秀選手賞を獲得し、2年連続の全日本大学野球選手権出場。しかし秋はまさかの2部降格。自身も不調が続き4年春は1部復帰も状態は戻らず。プロ志願届提出もNPBからはドラフト指名なしに終わった。 トライアウト特別合格、四国アイランドリーグplusドラフト5位指名で入団した徳島インディゴソックスでは、前期は2試合・8回のみの登板で1勝1敗・防御率5.63に終わったものの、後期に躍動。先発ローテーションの一角に入りリーグ通算10試合登板で3勝3敗。57回を投げて被安打58・奪三振48・14四死球・防御率3.00と急激な成長を見せた。 続くリーグチャンピオンシップ、日本独立リーググランドチャンピオンシップでも先発・セットアッパーを務め、「プロ野球ドラフト会議 supported byリポビタンD」では中日ドラゴンズから育成1位指名。11月5日には支度金200万円、年俸300万円(いずれも推定)で契約合意に至った。 最速147キロのストレートに、フォーク、ツーシーム、カットボール、スライダー、カーブと変化球も多彩。中日ドラゴンズでは背番号「206」でまずは支配下登録選手入りを目指す。
- 上記データは掲載時のものとなります。