神宮大会を笑顔で終わるものもいれば、悔しさをにじませて神宮を後にする選手もいる。今回は神宮での悔しさをエネルギーにしたい選手を紹介したい。日本航空石川の145キロ右腕・大橋 修人のことである。甲子園で最速145キロを計測し、来年のドラフト候補として期待させるものを見せた大橋だったが、この秋は苦しさと悔しさの連続だった。
背番号1でマウンドに登るために

大橋修人(日本航空石川)
歯がゆい。そんな言葉しか出てこなかった。静岡戦が終わって大橋は
「終わってみれば自分の実力が足りなくて、いろいろ課題があるなと感じた試合でした。静岡打線は試合前から強力打線だと警戒していて、特に1番村松、4番成瀬を警戒していました」
特に村松には足が速いので、ゴロを転がさせるのではなく、高めの力のあるストレートで、詰まらせてフライを打ちあげさせる狙いがあった。しかし、5回表からマウンドに登ったが、140キロを超えるストレートは影を潜め、常時130キロ後半。そしてスライダーのコントロールも定まらず、苦しみ、6回表にはマークしていた成瀬から適時打を浴び、
「真っすぐの制球力も低く、ストレートの勢いもダメでした。この明治神宮大会では、絶対に活躍しようと気合を入れて、普段のピッチング練習をしていたんですけどね...」
静岡戦では、5.2回を投げて5奪三振、2失点。その前の日大三戦では5イニングを投げて2失点と及第点といえる結果だが、「ストレートが走らなかったので、変化球中心の攻めで打たせて取る投球をしようとしたが、それもできなかった」と内容面では到底満足をしていない。自分の調子が良いときは、指にかかっているのはしっかりと感じられるという。それができていたのは今年の甲子園だ。花咲徳栄戦で最速145キロを計測。「甲子園でのピッチングは自分の中でも自信になりました」
145キロまで投げられるようになったのは日頃の体づくりにある。岐阜中央ボーイズ時代から135キロを投げる投手として注目を浴びていたが、当時の岐阜県の中学3年生には、根尾 昂(飛騨高山ボーイズー大阪桐蔭)、野尻 幸輝(関ボーイズ-木更津総合)がいた。
「2人は中学から別格で、すごいなと思って」
その2人に負けまいと大橋は、最速150キロを目指して、日頃のトレーニングと食トレに向き合ってきた。その大橋が特に大事にしてきたのは食事だ。
「トレーニングも大事なんですけど、僕は入学当初、本当に細くて。だからご飯は1食大盛3杯は当たり前で、しっかりと食べるためにコーチの方に見てもらっていました」
入学当初の66キロから10キロ増量し、76キロへ。体重の増加と比例して、球速も伸びていった。甲子園での快投をステップアップのきっかけとして、新チームになった秋では背番号1を狙うべく練習を続けてきた。しかし調子が挙がらず、県大会では背番号1としてベンチ入りすることができなかった。
「背番号発表日で、1ではなかったので、本当に落ち込みましたし、夜では泣いてしまいましたね...」と悔やんだ。今も、甲子園で投げた145キロ。そしていずれは150キロを投げるために投球フォームを追求している。
「指にかかったストレートを投げられるよう、まだその答えは見つかっていないですが、選抜ではよい結果を残せるように磨いていきたい。そして背番号1を取って甲子園のマウンドに戻りたいです」
今の苦しみも糧になったといえるラストイヤーにするために、この冬は徹底的に自分を追い込み、そして必ず背番号1を着けて、甲子園で躍動して見せる。
(文・河嶋 宗一)
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