高校で投手に転向し、わずか2年半で150キロ近いストレートを投げ込むまでになった素材型の投手。制球面に不安を残し最後の夏は背番号10で迎えたが、ストレートの質は引退後にさらに良くなっているという。伸び代十分な投手歴2年半の右腕が運命の日を待つ。
自ら志望した投手への転向

中川 虎大(箕島)
――野球歴を教えてください。
中川虎大選手(以下、中川):幼稚園から野球やったんですけど、中学校の時に1回、野球を辞めてるんです。中2の秋ぐらいに。でも智辯和歌山と市立和歌山のサヨナラの試合を見て野球やろうと決めました。
――投手になったのは高校からだと聞いてます。中学校まではどんな選手だったんですか?
中川:サードとか内野を守って、当たったら飛ぶみたいな選手でした。打順は4番でした。
――投手転向は指導者からの勧め?それとも自分で?
中川:自分から言いました。ピッチャー1本できたかったので。高校に入ってすぐです。
――当時の球速、分かりますか?
中川:測ったことないんでわからないんですけど…
山本喜造部長:入ってきたときで130キロぐらい。馬力はあったので。
――目指した投手像はどんな投手ですか?
中川:ストレートで三振取れるピッチャーです。
――球速は149キロまで上がりましたが、その要因は何ですか?
中川:わからないです。でもきっと喜造さん達のおかげです。