目次

[1]投手の才能を引き出したショート・山上
[2]自信をつかんだ2年夏と秋
[3]山上といえばストレートという投手になりたい

 群馬県からプロを狙える投手が現れた。その名は、山上 信吾投手(常磐)。183センチ75キロと恵まれた体格、上半身、下半身とバランスが取れたフォームから繰り出す速球は最速146キロを計測する。綿打中は、あの斎藤 佑樹投手を輩出した生品中の近くにある学校である。9月12日、プロ志望届を提出し、同校初のプロ野球選手の実現を誓う山上はいかにしてプロ注目投手へ成長したのだろうか。


投手の才能を引き出したショート・山上

山上 信吾(常磐)

 小学校1年生の時に野球の世界に足を踏み入れた山上は、小学3年生から投手を始め、中学時代はすでに最速128キロを誇り、市選抜チームで全国3位になるも、「他の投手が良かったので、基本野手で出ていました」
その選抜チームには、140キロ右腕・霜田 健太伊勢崎清明)、左腕・早川 和磨(関東学園大附)がいて、この2人が主戦として投げていた。山上は、当時監督だった河津 章氏からの誘いを受け、群馬常盤に進む。この時、128キロ。そこから20キロ近い146キロまでスピードアップした道筋は何だろうか。
1年生の時、「投手もやってたんですけど、大会では投げられる実力がなくて、野手としての出場が多かったですね」

 高校野球生活の序盤を振り返る山上。実はこれは河津氏の狙いがあった。
「山上は入学当時、肩は凄い強かったのですが、投げ方がめちゃくちゃで、遠投は強いボールを投げられても、短い距離ではだめだったんです」

 そのため河津氏は山上にショートをやらせる。短い距離で、鋭いボールを投げるには、力づくではコントロールが良いボールがいかない。ショートで日々、スローイング練習に明け暮れた。また山上が恵まれたのは1年生の頃。河津氏の知り合いで、アトランタ五輪で、チームタイの6試合に登板した木村 重太郎氏が指導にきており、投手としてのイロハを学んだ。
「重太郎も、山上はモノが違うといっていましたね」とアトランタ戦士も絶賛するほどの素質の持ち主だった山上の才能が開花するようになるのは2年生の頃である。

 入部当初は最速130キロ程度だった速球は、冬のトレーニング期間を経て、1年の3月には140キロまで上昇。投手陣で最速のスピードへと急成長を遂げた。
「ショートとして、スローイングの形を覚えさせたのは正解だった」と河津先生の育成計画は見事にはまり、速球投手としての片りんを見せた河津は、これまで野手兼任しながらプレーしていたが、この時期から投手に専念することが決定した。